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昨日まで北海道の空知管内、滝川市で開催された標記の研究会に参加させていただいた。
滝川市は札幌市と旭川市の中間に位置する人口43,000人の街である。 滝川市のサイトを覗いてみると、こんな紹介がされていた。 ------------------------------------------- 滝川市の語源は、アイヌ語の「ソーラプチ」=「滝下る所」を意訳したものです。 また、空知川の中流には滝のような段差がありアイヌの人々から「ソーラプチペツ」= 「滝のかかる川・滝の川」と呼ばれており、滝川という地名がつけられました。 滝川市の歴史は、明治23年北海道庁令第1号によって滝川村戸長役場がおかれたことに始まります。 この年、北方の警備と開拓のため屯田兵440戸が入植し、同27年には江部乙に400戸の屯田兵が入植して開拓が進められ、 これら屯田兵の往来と生活物資の供給、上川道路の開削に伴う資財の供給で滝川は大いに栄えました。 明治31年上川鉄道の開通、水害の発生で滝川市は、交通の要衝としての地位を失うとともに水害の被害で大きな打撃を受けましたが、 大正2年滝川と道東を結ぶ上富良野線(現根室本線)の開通によって再びその地位を回復しました。 昭和に入ってから石炭産業の隆盛によって赤平・芦別など産炭地からの石炭をはじめとする物資の輸送が活発になり、 滝川市発展の礎となりました。 ------------------------------------------- そんな滝川市で30年ぶりに開催されたという道徳の大会。 僕はそこに課題別分科会の提言者として参加してきた。 分科会テーマは「指導計画と評価」である。道徳の時間は各教科等で行われる道徳教育を「補充・深化・統合」するための時間である。つまり、道徳教育は全教育活動を通して本来行われているもので、例えば国語の「話す聞く」で相手を尊重しながら話し合いを進める態度であったり、特別活動で、学校全体のために委員会活動の仕事をするのも「心の教育」だ。前者は「思いやり2-(2)」、後者は「勤労・奉仕4-(4)」という内容項目に関連する。 で、もともとやってはいるんだけど、その価値を自覚し、たりないところは補い、気付いていないところには気付かせ、よりよい有り様をもとめて行われるのが年間35時間の「道徳の時間」ということになる。 そして、指導すべき内容項目は4系統、高学年なら22項目が指導要領に示されている。 示されているのだけれど、何の準備もなしに指導することはできない(当然の話)。いつ頃、どのように、何と関連させて指導すると効果的なのかは学校ごとに計画を立てることになっている。学校としての「全体計画」、学年ごとの「重点指導内容」、学級ごとの「学級における指導計画」、そして「道徳の時間年間指導計画」である。 こうして列挙するだけでも「んーーーーーーーーーーーーー。大変。」と思う。 そんなの、本当につくっているの? 仮につくったとして、つくってそれで終わりじゃないの? ……こういう反応が予想される。僕もそうだった。 勤務校はこの点が進んでいる。生活は3学期制だけど、評価は二期制を採用している。 そして前期と後期をそれぞれ二つずつに分けて「4つのステージ」として、中期目標を立て、マネジメントしながら教育活動が行われている。道徳の重点があり、それはそれぞれのステージの山場に向かって配列されている。ステージごとに学年でふり返りをすることになっていて、次のステージの重点も確認するので、道徳の話もここで出る仕組みになっている。実際、先週も学習発表会に向けて学年道徳の打ち合わせを行い、主任と僕がそれぞれ一時間の授業を持った。年間指導計画は「より指導の効果を高めるために」差し替えである。 提言はまさにこの話をしてきた。 前段で教育課程の話。 後段で自分の学級の話。この二つをどのようにリンクさせるように学年団が動いているかという話である。 10分という中にこれだけ詰め込むので、なかなか参加者には落ちづらい。わかる人にしかわからない話ではある。実際、教務主任・管理職クラスの人たちはうなずきながら聞いていたが、学生さんたちはちんぷんかんぷんだったろう。 たまたま苫小牧の研究仲間、斎藤けーた君が会場にいて、口火を切ってくれた。 「これだけのことを実現するのは、先生方も大変だったのではないですか? ここにいたる過程を教えて下さい。」 お。いい質問だよね。けーた君の学校の研究も道徳らしい。やっている人でなければ出ない質問だ。そして参加者も興味のあるところと思う。 『難しい質問ですね。』 会場、緊張。 『僕は、今年度、転勤してきました。』 間。 『だから、来たら、こうなっていました。』 爆笑。 フロアには函館の幹事長、副会長、会長もいる。 『 (笑)このフロアには作成した人もいるので、そちらからお願いします。』 ということで幹事長(現任校教務主任)から運用面の説明。 「わたしも来たらこうなってたんですけど……」 大爆笑。 その後、質問が出ないので、司会の方が函館地区の参加者を指名。 それがなんと会長。実は前の前の教頭として僕の学校にいた方。 「わたしがつくった張本人なのですけれど……」 爆笑。 というわけで、教育課程に関するお話は「チーム函館」による提言となった。 その後、評価面の説明が檜山の先生からあって、これは僕の方から実践を例に具体の話。 会長はしっかり来年度の函館大会の宣伝もしていた。 函館の代表としてある程度責任を果たせたかな,と思う。 もちろん、僕の力では無く、「チーム函館」のスポークスマンをやっただけなんだけど。 このフロアには他にも柳谷直明さん、古西峰之さんがいた。別の部屋には大学で同期だった吉田真規君も(彼は野口芳宏先生のゼミだった)。また、全体会場では宮永正之さんも。10年ぶりくらいの再開。立ち話だったが、お話しもできた。 なんだか満足して帰ってきた道徳の大会。返りの車中では再来週の総合の講座をまとめ、ちょっと余裕もできる(自転車操業だろうっ、というツッコミはさておき)。 来年度は函館大会。楽しみ。
by t-fuji5289
| 2011-10-29 10:20
| 研究の軌跡
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