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いろんなところで書いたり話したりしているので、既視感がある投稿になるかもしれません。昨年度、2021年の総合でやりたかったことが叶った今年でした。 2021年度、5年生の総合では「映え写真プロジェクト」と称した活動を行いました。コロナ禍で打撃を受けた観光都市・函館の魅力を写真で伝えようと、ゲストティーチャーの伊藤尚さんに「映え写真の撮り方」をレクチャーしていただきました。 そして校内において「写真コンテスト」を数回開催し、西部地区の自主研修で撮影した写真で外部のコンクールにも応募しました。佳作に3名も入賞するなど、手応えを感じた取り組みとなりました(入選した子の一人は嬉し泣きをしていました)。 しかし、心残りもありました。函館が観光都市として北洋漁業の衰退を機にまちづくりの基本方針を転換しつつも、その産業レガシーは海沿いにありました。函館どつくのゴライアスクレーン(現在は解体撤去済み)や金森赤煉瓦倉庫群、八幡坂や基坂などの風景は海とともにあります。 これらの風景を、海側から子どもたちに見せたいというのが私の希望でした。函館湾のクルージングです。そうすることによって、普段の生活の中では得られない視点からまちの風景を再発見することや、函館というまちの美しさを胸に刻んでほしいと考えたのです。 と、考えは壮大ですが、どうやって実現したら良いのかわからず、特に動き出しもせず、夢を描いただけでこの年度は過ぎていきました。 ところが、です。子どもたちが6年生になった今年、函館建青会(※)さんからのお声がけで、函館湾工事の現場見学会として実現することになったのです。 当日の様子はHPに掲載されています。 12月17日に函館で開催した教員研修の会では、三浦将大さんが故郷の原風景を価値づける模擬授業を提案してくださいました。あの授業提案のように、何年経っても記憶の片隅に残る風景になってほしいなと思います。 そして、これから出会う風景とつなぎ合わせ、彼らなりの景色が出来上がっていくことが楽しみでなりません。 僕が子どもの頃には「総合的な学習の時間」なんてものはありませんでしたが、その代わりしょっちゅう社会科見学に行っていた気がします。バスで登った函館山、ゴミの匂いに閉口した日の出清掃工場、緑の島がどのように造成されたのかというバス車内での説明がいまだに思い出せるのは、それだけ子どもの頃に見た風景というものは、文字通り心に刻まれるのでしょう。 この度の現場見学会が、クラスの子どもたちにとってそのようなものであるなら、こんなに嬉しいことはありません。 改めまして、函館建青会の皆様、有難うございました。 一年越しに夢が叶いました。 一生に残る風景を子どもたちに見せてあげられました。 ------------ ※「函館建青会」は地元道南の建設業界の若手経営者、経営者候補で構成される業界団体です。 会員の親睦を深めながら、行政機関や教育機関、他産業との連携などを行いながら建設業界の振興発展を図り道南地区の活性化に努めております。(函館建青会公式HPより) #
by t-fuji5289
| 2022-12-25 11:15
| 日々の雑感
【置き換え論の先に】 1人1台端末の供用開始から1年半。教師主体から児童主体の授業づくりへと転換が求められている中で、子どもが文具としてPCを使うことのよさを感じることが増えている。 そして、PCの活用が教師の間で話題に上ることも多くなった。というより、「避けては通れない」話題としてそのことに言及しない研修会はほとんどなくなったようにさえ思われる。 未だ過渡期にある実践状況の中で、気になるトピックに出会ったのでここに備忘録として記しておきたい。 ◆ 道徳の授業改善に関わる会議に出た。 そこで話題となったのが、「子どもが自分の立場を表すのに、PCを使えば時間短縮になる」ということだった。そこに異論はない。確かに挙手して分布を確認し、人数を黒板に記すことよりも、事前のアンケート結果をプロジェクターで映し出すことよりも、授業が始まってからジャムボードやロイロノートを使う方が話が早い。 機能面だけ見れば、例えば自分の意見に近いところにネームプレートを貼ることと変わらないし、PCで「置き換え」た方が活動が効率化され、もっと他のことに時間を使うことができるようになる。この方法はどの学校でも割と広く取り入れられているようだ。 会議では、この話題交流についてグループごとにジャムボードの1シートずつが割り振られていた。そして別のシートでも同様の指導法が話題になっていたことからも示唆されている。 しかし、ここでちょっと立ち止まってみたい。子どもが自分の考えについて、類型化された意見への反応という形で表明するとき A PCで行い、瞬時に結果が視覚化される B 逡巡しながら黒板に自分のネームプレートを貼る という二つは本当に同じものなのだろうか、と。 例えばBの活動を行うとき、なかなか自分のネームプレートを貼れない(貼らない?)子どもは何を考えて友達のネームプレートを貼られた黒板をみているのだろうか。 手に持った自分のネームプレートをビヨンビヨンと振りながら、どこを見て、どんなことを感じているのだろうか。 もしかしたら、あの子にとっては自己内対話の起きている、とても豊かな時間である可能性はないだろうか。 発問に対して手を挙げて発問することも、自分の考えをノートに書くことも簡単ではないあの子にとって、「自分の立場を表明する」ことはとてもハードルが高いことでありながら、それでもネームプレートを貼ることならできる(貼れない時には、こっそり貼らないでいることも許容している)。 そういう逡巡する時間の中に、あの子は葛藤し、「考え、議論」しているのかもしれない。単純なPCへの「置き換え論」に与することは、こうした学習活動ひとつ一つの解像度を下げることになるのではないかと感じた話題だった。 グループ協議の時にこのことに触れてみたら、参加されていた先生方の反応は、わりと頷きが多かったように思われた。皆さんも同じように感じられていたのだろうか。 ◆ 「置き換え論」の良し悪しではなく、そこで「本当には何が起きているか」ということを考えながら、自分の実践のあり方を考えてみたくなった、という話。 #
by t-fuji5289
| 2022-07-19 06:52
| 日々の雑感
NHKの「チコちゃんに叱られる!」に池田 修先生がご出演なさるとのことで、早起きして視聴。「急がば回れ」の“回れ”がどこなのかというテーマで楽しく拝見した。池田先生が登場する冒頭で「関西の生まれなのかな?」という中の人イジリに笑った。
が、「周囲の山から吹き下ろす風で湖面が荒れやすい」というナレーションの最中にチコちゃんがポツリと「比叡山からのね」と呟き、冒頭のイジリをしっかり伏線回収していたことに、内心「さすが◯兄!」と拍手していた。それで気がついたのだけれど、話題の展開に参考になるところを多々発見。 例えば、久本雅美が容姿を誉められて「あと3時間言ってくれるかな」とボケた数分後に、問題の回答に際して「あと4日ください」と時間軸でボケを重ねていくところ。 また、「空振りロケ」というオチをつけるために、通りがかりの人にどちらを選ぶか聞くけれどもどちらも選ばないというワンシーンを入れるというくだり。 それから冒頭に容姿を誉められた久本雅美が、心的辞書の間違った取り出しの具体例で「北川景子に間違われる」とボケた。これを、次のテーマに移った後でチコちゃんが回答者として久本雅美を指名するときに「景子」と引っ張るなど。 時間としては短いのだと思うけれど、「前の話題で出ていたキーワードを受けて、アレンジを加えて話す」というテクニックが出演者同士のトークにも、番組の話題展開にも応用されていて興味深かった。 そして、この構成に池田先生の短いコメントが対応していてさすが!と思った。 要するに「フリ/オチ/フォロー」を細かく積み重ねていたことにより、笑いと共に「話としてのまとまりの良さ」が際立っていたという印象だった。 早起きしてよかった。 #
by t-fuji5289
| 2022-07-16 11:11
| 日々の雑感
編著者名の通り、函館と青森で年に2回の交流を通して、地域素材の教材化による道徳の授業づくりを研究してきました。その成果をまとめた書です。発売日が令和4年4月11日となりました。出版社の方から、目次の公開を許可してもらいましたのでblogに掲載することにしました。Amazonではすでに予約が始まっています。ご覧いただけましたら幸いです。 -------------------------------- 目次 はじめに 第1章 なぜ地域教材の開発が必要か 第1節 人口減少社会と地域と道徳 1 地方は消滅し、学校が消える! 2 「新たな地域学習」が示した方向性 3 「三つの風船モデル」で考える地域教材の意義 第2節 今求められる規範意識と道徳 1 現状を観る 2 原点回帰 3 道徳は地方再興を旨とすべきである 第2章 「ひと・もの・こと」でつくる地域教材の開発プロセス 第1節 「ひと・もの・こと」から素材を見つける 1 「ひと」から見つける 2 「もの」から見つける 3 「こと」から見つける 第2節 三つの「活用類型」を参照に「考え、議論する」ポイントを設定する 1 「清涼剤型活用」のポイント 2 「葛藤型活用」のポイント 3 「自分事型活用」のポイント 第3節 学習指導過程に沿って発問構成を考える 第4節 授業を俯瞰して「見取り図」をもつ 第3章 地域教材を活用した道徳授業の実践例 1 地域の「ひと」を教材化した実践例 〈清涼剤型活用〉 ・「貴重な資料を守った図書館人・岡田健造」 ・「笹餅で人を幸せにする桑田ミサオさん」 〈葛藤型活用〉 ・「ラムサールの手前に」 ・「震災を乗り越えた八戸の三社大祭」 〈自分事型活用〉 ・「自分ならどうするか--アイヌの人と」 ・「幸せな生き方とは--宮沢賢治」 2 地域の「もの」を教材化した実践例 〈清涼剤型活用〉 ・「義に殉ずる~碧血碑を建てた柳川熊吉~」 ・「落ちこぼれ水族館から世界一の水族館へ」 〈葛藤型活用〉 ・「昆布さえあれば~投石事業に一生を捧げた坂田孫六」 ・「伝統を大切にするとは~白河だるま~」 〈自分事型活用〉 ・「縄文人からの贈り物~中空土偶を見つけ、守ったアエさんたち~」 ・「草木塔のある風景」 3 地域の「こと」を教材化した実践例 〈清涼剤型活用〉 ・「絵本『さくららら~私らしくあなたらしく~』」 ・「人のために働く~塩竃・明治の水道づくり~」 〈葛藤型活用〉 ・「『捨てる』~北黄金貝塚に暮らした人たちの精神性から~」 ・「五所川原立佞武多祭りとわたしたちのまち」 〈自分事型活用〉 ・「町会の今~どんな町会(地域)に住みたいですか~」 ・「ねぷたまつりを守るためにできること」 第4章 地域教材と他教科等との連携のあり方 第1節 地域教材と他教科等との連携の考え方 第2節 地域教材と他教科等との連携のあり方 1 「総合的な学習」との連携を図る 2 「シチズンシップ教育」としての地域素材の活用 おわりに #
by t-fuji5289
| 2022-03-23 20:25
| 研究の軌跡
1 「学校の権威性」を「子どもの主体性」に変換していくプロセス 学習者中心の学習をどうつくるか、だとか、多様性をどう包摂していくかって話は、いつかどこかで学校の「存立基盤としての権威性」みたいなものにぶつかる。学校という空間は、ただそこに居るだけで圧を感じる場所だから、「圧力の調整」が学級担任の仕事のようなところがある。 「先生は偉いし、学校に行けば賢くしてもらえる」なんていう神話の残滓がまだそういう権威性のようなものを延命していたけれど、学習者中心で設計された今次の指導要領の改訂により、いよいよ権威主義的教育観に基づく授業や学級経営手法が寿命を迎えようとしている。 だからたとえば「スタンダード」なんてものが上から相当程度の「圧」を伴って下されてこようが、そんなものを無視して子どもたち一人一人をえこひいきしながら「圧の調整」をしているクラスの満足度が高いということも起こる。 逆に「座る、黙る、言った通りにする」ことを持って正しい授業態度だと見做すクラスが、子どもが成長する場としてはなかなかに厳しい状態になっていくという話も聞こえてくる。 しかしここで改めて確認してしておかなければならないのは、「学校の権威性」のようなものをゼロにして公的な教育機関としての機能を発揮することもまた出来ないのだろうということだ。 かくして、学級担任には教育活動のスタートラインにおいて「学校の権威性」を必要とし、子どもが「主体的・対話的で深い学び」へと至るプロセスにおいてその権威性が後景化していくような環境調整が求められる。 最初は西に向かって走り出し、どこかの時点で東に向かって進路を変えていくようなイメージである。 めちゃくちゃ曲がる台風みたいだね。 で、この台風が本土に沿って北上するように、子供の育ちにとってちょうど良い状態を維持できるかどうかが学級経営の勘所のようにも感じられている。そのプロセスでは、「一人ひとりに合ったえこひいき」が展開されることとなる。 「クラス全員が満足する一人一人の甘やかし方」なんで本があったら売れないだろうけど読みたい。著者は「若手が勘違いする」って燃やされるだろうけどひっそり擁護したい。 2 その先に形を変えた「権威性」を再創出すること ところで、「学校は偉い」と思ってもらえるから、学校は偉くあれる。 もしも学校の権威性というものが実態としてあるのならば、それはみんながそう思ってくれていることによって成立している。そういうみんなの「お約束」なのである。 お約束の使い方を間違っちゃいけない。 お約束を反故にしてもいけない。 「みなさんのお母さんやお父さんが教えてくれたように、学校のお話はたいせつなんですよ」から始まって、「みなさんがこの学校をとてもたいせつな場所にしてくれました」という出口までのトンネルをくぐり抜け、やがて父母になった子どもたちがまた「お約束」を再生産する。 それはもしかしたら「相互依存的」な関係性なのかもしれない。地域に学校があるということ。学校が地域をつくるということ。学校が地域に支えられているということ。 僕の初任地は、まあまあの田舎の学校だったので、教職の原体験として刻みつけられている。 #
by t-fuji5289
| 2022-03-19 08:04
| 日々の雑感
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