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潮風の香る教室


日々の記録から始めたブログも、2007年からもはや何年? 14年か! 現在はFBとTwitterがメインなのでブログに書かなくなったなぁ…。
by t-fuji5289
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初任地の思い出

今、道徳の地域教材についての原稿を書いているのだけど、久しぶりに初任地のことを思い出したので書いておく。数年に一度は繰り返し書いているので、「前にも読んだわ」という方もいると思うけど、僕にとって書くこと、思い出すこと、記しておくことに意味があるのでこのまま書いていく。

■野球部のコーチになったこと
 僕は初任が中学校だった。サッカー部の監督がやりたくて、部活動のある中学校を選んだわけだけど(ピアノが弾けない、泳げないという消極的な理由から小学校を避けたという事情もある)、初任校には野球部しかなかった。男子は野球部、女子はバレー部、どっちも無理な子は卓球部に全員参加という、今では考えられない部活動に、職員全員が参加する決まりになっていた。
 そこで、小学生の時に父親に買ってもらった左利き用のピッチャーグローブを数年ぶりに取り出し、毎日16:00から暗くなってボールが見えなくなるまで部活動の隅っこにいた。監督は別にいたし、コーチも別にいたので僕はいてもいなくても良かったと思うけど、生徒たちも僕にスイングやピッチング、捕球の仕方を指導してくれていたので楽しかった。
 部活動は地域の保護者の関心事でもあって、親子2代、3代にわたってこの学校の野球部だったという家族もあるし、練習試合が終わるごとにキャプテンの家にお父さんたちが集まって、試合の内容を肴に日付が変わるまで呑んでいた。そういう地区だった。加えて、僕が採用された年は、中体連の全道大会が勤務地で開かれることが決まっていたので、開催地枠が一つ多く、かつ、その年は小規模校にもかかわらず中3でほとんどのポジションを占めることができるという「当たり年」であり、応援にも力が入らないわけがなかった。
 このキャプテンのお父さんというのが工藤英雄さんで、僕と保護者との関わりや、学校と地域の関係を今に至るまで考えさせる特別な存在になった。大工である英雄さんは、教師より先にグラウンドにいて素振りしていた。野球なんてほとんどやったことのない僕にも何かと声をかけてくれていた。当時、独身だった僕は食事も不規則になっていたけれど、何かと飲み会に僕を呼んでくれて、奥様の静子さんの手料理を食べさせてもらっていた。
 結論から言うと、開催地枠をめぐる町内の学校との頂上決戦は禍根を残す形で敗退が決まった。地区の保護者は納得がいかないと言う思いがとても強く、学校・地域を巻き込んだ「騒動」へと発展することになるが、ここではその話は割愛する。

■静子さんが家内の病室付きの看護師だったこと
 独身ではあったけれど、妻とは高校生の時から交際を続けていて、結婚することも決めて僕は初任地に赴いた。就職した年に結婚し、その翌年には子どもを授かったわけだけど、まちに一つだけの総合病院で、産婦人科で妻の病室付きの看護師が静子さんだった。妻は切迫早産で、点滴治療が必要であり、ずいぶん長いこと入院した。その年は日韓W杯が開催されていたわけだけど、僕は親子3人の生活が始まるはずのアパートで一人でテレビを見ながら子どもとサッカーボールを蹴る日のことを考えていた。
 決勝戦のドイツとブラジルの試合は、難攻不落のドイツゴールを守るオリバーカーンの「壁」を、大五郎カットのロナウドがこじ開け、2−0でブラジルの優勝。これが6月の末だった。
 それから1ヶ月。夏休みが始まったばかりの僕のところに病院から緊急の電話がかかって来た。
「奥様の容体が悪い。これから函館の病院に緊急搬送する。すぐに搬送先の病院に向かって欲しい」
オクサマノヨウダイガワルイ?
何言ってるんだろう。
もうすぐ僕は家族3人の生活がこのアパートで始まるし、息子にはサッカーを教えることになっているんだ。
キンキュウハンソウスル。
緊急搬送。
自分の家族にそのようなことが起こるとは想像したこともなかった僕は、どこをどのように走って病院に着いたのかほとんど記憶がない。途中で妻を乗せた救急車に追い越されたことだけはぼんやりと覚えている。
 胎盤剥離と出血の酷かった妻は、輸血しながら帝王切開で長男を出産した。7月25日。
 ダウン症児として生まれた長男は生まれてすぐに腸閉塞の手術をしたため、また、妻が麻酔から覚めるまで時間があったため、長男の顔を見られたのはそれから数日後だった。妻は我が子が負った過酷さに涙し、僕は自分の家族像が想像もしなかった絵に描き変えられたことに戸惑っていた。が、小児科の医師は「でも、育てていってもらわなきゃいけませんからね」と至極当然な事実を端的に表現した(その後、開業医になる先生には長いことお世話になった)。
 そんな僕たち夫婦に「こういう子は、この家族だったら幸せになれるって、選んで生まれて来るのよ」という言葉でエールを送ってくれた静子さんは、あの時確かに僕たちを救ってくれた。

■家族で工藤さんちに泊まりに行ったこと
 この翌年、統合新設校に移動した僕は、中1の副担任となった。担任は、例の全道大会への出場をかけた相手校の監督だった先生である。縁とは本当に奇なるものだ。新設校にはやはり「男子は野球部」の原則が継続していたので、僕は引き続き野球部のコーチになっていた。
 2年間、海に沈む夕日を見ながら帰宅する日々が続いた後、長男の療育のためにはやはり都市部の方がいいと考えた僕は、異動希望を出した。決まった先は小学校。中学校の国語教師として一生やって行きたかったが、これも運命の巡り合わせ。仕方ない。
 しかし、異動した先の小学校は、サッカーの強豪校。四年生の大会から六年生の大会まで、3年間持ち上がった子どもたちは、僕を3回、全道大会に連れて行ってくれた。五年生の時は9人生の大会で決勝戦まで行った。相手はコンサドーレU-11。結果は敗退だったけれど、後一歩で全国大会というところまでいった彼らとの日々に僕は熱中していた。

 初任地のことを忘れるほど。

 そんなある日、静子さんから「夏休みに家族で泊まりに来ないか」とのお誘いがあった。下の子も1歳になっていて、夜もちゃんと眠れるようになっていたし、何より懐かしい工藤さんからのお誘いだったので、「喜んで」とお返事したのだが、実はこの時、英雄さんは病魔に冒されていたのだった。胃がん。余命を考えて、会いたい人に会っておこうという事だったのだと思う。
 それまでに「人の死」というものを、祖父母のそれでしか経験していなかった僕は、あまり事態がよくわかっていなかった。ネットにはがんサバイバーの話も見かけていたし、「余命宣告から早10年!」などという明るい話も目にしていた(それもよく考えると怪しい健康食品の誘い文句だった気がするけれど)。だから僕はあまり深刻には受け止めていなかったのだろうと思う。
 海岸にBB Qセットを用意してくれていた工藤さん夫妻は僕たち4人家族を実に温かく迎えてくれた。数年前は僕たちが夫婦二人で、工藤さんは娘と息子との4人家族だったからちょうど逆になったんだね。そんな話や、今でも納得いっていない決勝戦の話をずーっとした。波の音が怖くて泣いている長男。なんだか機嫌のいい下の娘(高校生になった彼女は、今では不機嫌な顔の方が多いけど)。室内に場所を移してからも子育ての話や、学校が地域にあることの大切さなんかをずーっとしていた。寝たのはとっくに日付が変わった後だったと思う。
 それから数ヶ月して英雄さんは亡くなった。確か53歳。早すぎる。
 翌年の命日は、家族でお線香を上げに行った。静子さんは間も無くここを引き払って、長女の嫁いだ町に身を寄せるという。きっと孫の世話をしながら新しい生活を送っていくんだろう。元気かな。
 英雄さんが亡くなる数週間前、僕は夜の生徒指導巡回中に、別の先生に電話をかけようとして間違って英雄さんにかけてしまったことがあった。電話を切るまで間違いに気づかなかった僕は、後から発信履歴に残る英雄さんの名前を見て「あちゃー」と思ったんだけど、これも今考えると最後に神様が声を聞かせてくれたのかな、とも思える。

ながーくなってしまったけど、初任地を思い出すと工藤さん夫妻のことを考えずにはいられない。ダウン症の長男が自宅近くの入所施設に入ってもうすぐ一年になる。コロナ禍で全然面会ができないため、妻はとても寂しがっている。とてもとても寂しがっていて、毎日のように「ご飯食べたかな」「何してるかな」「親切にしてもらってるかな」「お部屋、暑くないかな」と言っている。僕は毎日「満腹だよ」「遊んでるよ」「みんな優しいよ」「扇風機回しているよ」と答えている。
 英雄さん、静子さん。僕たち夫婦二人、とてもお世話になりました。4人になった僕たち家族は、あと一年半もすればまた夫婦二人に戻りますが、仲良くやって行きたいと思います。いつかまた会えたら、どんな風だったかお話しに行きますね。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 23:29 | 日々の雑感

「再現不可能性」が増大する


1人1台端末を自由に使いこなしている諸兄は、おそらく次に担任する学級で今の状態を再現することは「とても難しい」と感じるのではないだろうか。
学級づくりを「担任色に染めること」であるとみなせば、いつ、どこの学年を持っても、どんな子がいる学級を持っても、その先生の色になり、○○学級と表現されるような凝集性の高い集団になっていくと思われる。
しかし、「個別最適化」を目指す時代である。子供たち一人一人の個別の成長ニーズに最適化した教育を展開しようとすると、学級が「子どもたち色」に染まることはあっても、「担任色」に染まることはあり得ない。
仮に、子供たちが伸び伸び育っていることが「色」と表現されるのであれば、その先生以外の学級が命令と抑圧をベースにしているからでは? とさえ考えてしまう。
今は、「そうでなければ仕事ができない」立場の先生のことは措いておく。あくまでも「他にも選択肢があるのに、あえて命令と抑圧で学級経営しようとする」タイプの怠惰な高能力者のことである。
その手の「従わせる」ことを持って職責だと考えている層には、「1人1台端末」の文具化は望むべくもない。
「どのようにでも使え。ただ、ゴールには着け。」
これだけでいいはずなのに、こと細かに禁止と努力目標とチェックで子供達を縛る。創造性の芽は摘まれ、大人に許可を求める抜け殻のような子供ができあがる。
しかし、子どもは逞しいから、浅はかな教師の設定する金網など抜けていく。支配者たちがいびきをかいている間に。
個別最適化、つまりは子どもが子どもの文脈で歩いていく道のりは決してまっすぐではない。寄り道・迷い道・曲がり道が常である。
ウロウロうろうろしているうちに、「秘密の通路」を発見するのが子どもたちだ。それが最短距離とは限らない。遠回りだけど、途中に公園があるかもしれない。きれいな花が咲いているかもしれない。可愛いわんちゃんに会えるかもしれない。
子どもが見つけた道は、子どもの道なのだ。子どもだけの道なのだ。
地図に記したら、その瞬間に子どもは誰も通らなくなってしまう、子供だけの裏道なのだ。
僕は子ども時代のことをよく覚えている。僕だけの裏道も覚えている。
裏道を持っている僕は、子どもたちと冒険ができる。だから、何が起こるかわからない端末の文具化が楽しい。
そして、きっと誰もが裏道を持っていた、はずだとも思う。
「学校スタンダード」なんていう、鼻くそみたいな舗装道路。
アスファルト(という石油精製の残りカス)を全部剥がして、雑草の生い茂るままにしておきたい。
子どもがどこに裏道横道曲がり道を見つけるか、なんて計画のしようがない。従って、再現性もない。何が引っ掛かるかなんてわからないのだから。
もう一度、野山を駆け回ろうか。ちょうど人口も減ってるし。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 23:19

「集団遊び」のロジックが変わっている

近年、私の中で大きく変わったこと(変えられたこと)があります。それは「担任が子どもと遊ぶ」ということの位置づけです。
過去の担任時には、子供達の多数は「集団遊び」に興じていました。例えばある年の学級は男女問わず、中休み・昼休み、そして放課後までグラウンドでサッカーする集団でした。その中に入っていって一緒に遊ぶことは単純に楽しかったですし、子どもとのコミュニケーション材料も手に入りました。それだけではなく、家庭学習でサッカー選手の名前を漢字で書くようになったある子は、50題テストでも100点をとるようになっていきました。
これは僕がそうしたのではなく、もともとそうだったのです。僕が担任になってからは、サッカーコートのラインを引いたり、戦術的な「指導」(笑)をしたりとこうした子供達の活動をサポートしたり煽ったりするということはあっても、そもそものムーブメントとして「みんなで遊ぶ」ことが、あの子達の育ちを促していたのだと思います。
そうした集団としての「質」がここ数年で変わってきているように思います。
詳しく書くわけには行きませんが、これまでは「まず遊ぶ。そして関係ができていく」というロジックでした。
しかし、これが反対になります。「まず授業や学校生活で満足させる。そしてそこで生まれた信頼関係を基盤に、みんなで遊ぶ」というアプローチが必要になってきているのではないかと思われます。
そうしなければみんなで遊べない、かもしれません。
勝ち負けに納得がいかない子がいるかもしれません。
邪魔する楽しみは相手の不快につながることをうまく想像できないこどもがいるかもしれません。
ルールが絶対で、「みそっかす」のような特例は存在自体が許せない子がいるかもしれません。
ちょっと極端に言えばこういうことになります。
「みんなで遊ぶこととはどういうことか」を、ある程度、戦略的に理解させ、育てなければ、「不快である」という感情だけが沈殿していくというリスクを抱えています。
ですから、「教師がルールや判定、活動時間をコントロールすることを認めてもらう」までの信頼関係が築けていないうちは、集団遊びに介入することを控えるようにしています。
こうした子どもの変化を前提にすると、「担任が子どもと遊ぶ」ことは、集団づくりの特効薬ではなく、むしろミッションなのではないかという視点が生まれます。
安易に遊びのネタを紹介することは、かえってそれを読んだ「若手」のリスク要因になり得るかもしれないというお話でした。
【注】
ここでは「集団遊び」の本や、「子どもとの関係づくりとして遊ぶこと」自体を否定したり批判することを意図していません。こどもたちの間には、実にびみょーな変化が生まれ始めていて、留意事項が増えてきているのではないかという趣旨です。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 23:16 | 日々の雑感

遊びのルールと暮らしのルール


学校生活には様々な「ルール」があります。道徳の内容項目に「規則の尊重」が入っているように、ルールを守って生活できるかどうかは、メンバーの心地よい生活や、その子ども自身の社会性が伸びていくためにも必要です。
遊びにも「ルール」がありますが、近年上手に遊べなくなってきている子や、ルールにこだわりすぎて遊びを楽しめなくなっている子がよく見かけられるようになったのは、遊びのルールと暮らしのルールの決定的な違いを学ぶ機会が少なくなってきているからでは無いかという仮説を立ててみました。
まず、「暮らしのルール」をひとまず「禁止の体系」と考えてみます。つまり、
・廊下を走ってはいけない
・チャイムが鳴るまでに席に着いていなければならない
・授業中は私語をしてはいけない
といったように、「~してはいけない(=それ以外はしても良い)」という制限が為されています。
目的はこどもたちの社会的生活の円滑化です。トラブルを防ぎ、学習の基盤となる生活をスムーズに行えるようにすることを旨とします。
ですから、トラブルにつながる行動はあらかじめ禁止されますし、望ましい行動が行われないことは制限されます。
次に、「遊びのルール」を考えてみます。一口にルールといっても、遊びには様々なものがありますから、ここでは「だるまさんがころんだ」を例に話を進めていくこととします。
みなさんご存じのように、「だるまさんがころんだ」は、鬼が陣地に陣取り、プレイヤーに背を向けているあいだに「だるまさんがころんだ」と唱えます。唱え終わったらふり返ってプレイヤーを見ます。この間はプレイヤーは動けません。
プレイヤーは鬼が背を向けている間に素早く陣地に近づき、鬼にタッチします。
鬼はふり返っている間に動いてしまった子の名前を呼びます。呼ばれた子はアウト。陣地に捕まります。
様々なバリエーションや追加ルールはあるにせよ、概ねこうしたルールで行われるのが「だるまさんがころんだ」です。
さて、ここで課せられている「ルール」は、何を目指して行われているのでしょうか。
すなわち、
・鬼は背を向けて「だるまさんがころんだ」をコールしなければならない。
・プレイヤーは鬼が背を向けている間しか動けない。
・プレイヤーは鬼をタッチしたらなるべく素早く遠くに逃げなければならない
・鬼がそこから何歩まで歩いてつかまえにいけるかは、周りの子の合意による。
といったルールの体系は何を目指して行われているのでしょうか。
少なくとも社会的生活の円滑化ではありませんし、安全・安心の確保でもありません。そういった暮らしのルールの原則との決定的な違い、このことを私は「不確実性の調整」であると考えています。
つまり、失敗するようにする。もう少していねいに言うと、失敗可能性を「ちょうど良いレベル」にすることを目的としているのではないでしょうか。ゲームというものは、勝つか負けるかわからないところに、つまり不確実性を基盤に現出します。
例えば、サッカーは手を使ってはいけません。足で扱うという不確実性がゲームを面白くします。
さらにオフサイドのルールは、待ち伏せ攻撃を禁止することで、ボールを争う範囲を限定し、さらにゲームを複雑なものにしました。不確実性の調整を行ったわけですね。
もっというと、オフサイドの判定は「プレイにかかわっている選手」に適用されるルールに変更されています。
機械的に「相手DFが1人いるかどうか」だけで判定されていたものが、例えば接触プレイで倒れている選手がいても笛が吹かれなかった場合に、完全にプレイに関与していなければその選手がオフサイドの判定を受けなくなったのです。
こうした細かい変更は、遊びにおけるルールが「不確実性の調整」のために行われている恣意的なものだという性格がよく表れているのではないでしょうか。
冒頭の仮説にもどります。
「遊びのルールと暮らしのルールの決定的な違いを学ぶ機会が少なくなってきている」のが、集団遊びがうまくいかなくなっている遠因ではないかという指摘をしました。
「暮らしのルール」に恣意的な小変更を加えることは、ともすれば担任の信頼を損ねます。
「あのこばっかりずるい」
「前に言ったことと今言ったことが違う」
こういう反応を引き起こしてしまうわけですね。ですから、暮らしのルールは「契約関係」であり、一貫することをが求められます。
これに対して、「遊びのルール」は、プレイヤーが習熟いていない場合に、しばしば変更されます。
・1秒以内ならだるまさんがころんだのあとでも動いてOK
・動いたかどうかのチェックに10秒以上かけるのは反則
・目や口がうごくのはOK
こうした「ゆるさ」「あいまいさ」を許容しながら、みんなが楽しく遊べるようにちょうどよいラインを目指して調整するのが遊びのルールの本質です。
こうした「暮らし」と「遊び」の決定的なルールの差の違いが区別できないとしたらどうなるか、想像つきますよね?
「ずるした」「ひいきした」
こうした声が遊びの度に(休み時間の度に)巻き起こります。3時間目と5時間目は不満のガス抜きのために授業時間が削られます。そして「落ち着かない学級」というレッテルが貼られ、時に担任が追い詰められます。
これはかつて、幼稚園の年中さんくらいで起きていたことでした。
それがいつしか低学年で起こるようになり、今は高学年でさえ珍しくない風景となりました。
なぜそうなったのか。
僕は一つに「○○スタンダード」による規律の徹底=禁止の体系の前景化があるのではないかと考えています。
ここであわてて断っておきたいのが、「スタンダード」によって子どもが変わったと短絡させたいのではありません。そうではなくて、さまざまな影響から変質している子どもの育ち環境を、「好ましくない方向に引っ張ってしまった」という側面があるのではないかということです。
安易なスタンダード不要論として書いてきたわけではありません。「学習規律」と同じくらいの大切さで、「子ども同士の失敗しながらの関わり」「不断の調整をしながら横のつながり」を育ててくる必要があったのに、その部分が課題だったということ、「働き方改革」の流れの中で、横のつながりを仕掛けていた部分も削られてしまっていること、そして何よりコロナ禍において直接的なふれあいが難しくなっていることなど複合的な要因があり、プライバタイゼーションの進行、人間関係の希薄化、学校統合等による地域の教育力の低下等、複合的な要因が絡まり合っていることは論を待ちません。
私は実践の場にいる人間です。
ですから、やるべきことは「子供たちの横のつながりを豊かにする」ことです。そして、一つの切り口として「遊びのルール」が目指す「不確実性の調整」といった側面に着目し、「よりよい人間関係の構築を目指して、不確実性を許容できる集団」を育てていくことではないかと考えています。
長文にお付き合いいただき有り難うございました。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 23:15

端末と距離感

人間関係における距離感には「絶対距離」と「相対距離」がある。
「絶対距離」というのは主観の産物で、自分はこういうふうにみんなに思われているだろう、この集団の中で、僕の位置付けはこういったものだろう、という「自己評価」の中での他人との距離の取り方を指す。
これに対して「相対距離」とは、相互評価というフィードバックを受けて自分の立ち位置を再確認することを指す。「え、僕ってこういうふうに思われていたんだ」「なんだ、私ってそんなに浮いているわけじゃないのね」という、他者視点から自分のいる場所を確認した結果の距離感だ。
「1人1台端末」は、個々の教師の力量とは無関係に「相対距離」を視覚化することを容易にする。
これまでの教師と児童生徒との「縦の関係」の中では表面上隔絶されていた「相互コミュニケーション」が、「同時多発的・共同編集的」に行われるようになる中で、「相対距離」を意識化させる方向に学級の子どもたちの見方・考え方を動かし、人間関係づくりのロジックが大きく変わって来ることがさまざまな実践報告を目にするたびに示唆されている。
これは、8月7日の久川慶喜提案から敷衍したことである。
これまで以上に「相対距離」に気がつくことのできる子どもが増えるというメリットが「1人1台端末」にはある。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 23:05