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潮風の香る教室


日々の記録から始めたブログも、2007年からもはや何年? 14年か! 現在はFBとTwitterがメインなのでブログに書かなくなったなぁ…。
by t-fuji5289
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互いによりよく関わり合おうとすることが良循環を生む

本日、学芸会でした。年休を取って帰宅。


久々の大きな行事です。せっかくの機会ですから「担任間の連携で、行事をちょっと素敵に彩った」できごとを、徒然にふり返って見たいと思います。

まず、総練習の後に小さなサプライズがありました。今年の学芸会はコロナ対策の関係で、一堂に会する学芸会ではなく、一つの学年を見るのは、その他の学年ひとつだけです。私達5年生の発表を見に来てくれたのは4年生でした。

4年生の子供たちは、5年生の発表を最後まで集中して見ていただけではなく、教室に戻ってから11人が感想を書いてくれました。4年生の担任の先生がこの感想を持ってきてくれて、「文字の間違いとか、言い回しとかいろいろ気になるところあると思うけど(笑)、汲んで挙げて」と言いながら渡してくれました。

僕はこの感想用紙を受け取って、すぐに子供たちに見せようか、それとも何かしかけようかと考えます。すぐに渡してあげるのも5年生の子供たちは喜ぶでしょう。しかし、当日のモチベーションアップのために、活用させてもらおうと考えました。

果たして当日です。朝の会が終わった後に、子供たちに次のように説明・指示しました。

・総練習の感想が4年生から届いていること。

・ランダムに11枚ずつ配ること。

・配られたら、その紙を、友だちと見せ合って、5年生全員が、4年生からのコメント全部を読めるようにすること。

・自分の席に戻って返信を書くこと。そのとき、「コメントありがとう。」「おかげで頑張れるよ」「4年生も頑張ってね」という、お兄さん・お姉さんの視点で書くこと。

4年生からのメッセージを読み合う5年生の子供たちの嬉しそうなこと! 「紙を見ないで長いセリフを言えてすごかった」「ダンスが息ぴったりだった」「市電が学校の近くを走っていたなんて知らなかった」「僕たちもはやくいきたくなった」というコメントに、ニコニコしています。

1人の女の子は、振り返りで「とても緊張していたけれど、4年生のメッセージが支えになった」と書いていました。「1人1台端末」を活用して、学級内では互いにフィードバックし合っていましたが、他学級からのコメントはことさら嬉しかったようです。

そして、5年生が返信を書いた感想の紙を集め、4年生教室に届けました。私は、4年生のこどもたちに「皆さん、感想を書いてくれて有り難うございました。5年生はとてもうれしかったと言っていました」と伝えて教室に戻りました。

5年生の本番が終わったあと、次に廊下に待機している4年生とすれ違った5年生の子供たちは「ありがとう。うれしかったよ」「4年生も頑張ってね」と、自然に言葉をかけていました。嬉しかったんでしょうね。本番も上手くいったという手応えと、開始直前に励ましてもらう形になった4年生への思いと。これも、4年生の担任の先生が、総練習後に5年生に感想を書く機会をつくってくださったからです。

話はこれだけに終わりません。2時間目に5年生が発表、4時間目は6年生の出番です。このとき、5年生のダンスチームの3名が、私に直訴してきました。「6年生の発表がみたいです」と。

6年生の発表の中にもダンスチームがあり、彼女らをリスペクトする5年生は、どうしても見たいのだそうです。

ここで僕は一計を案じます。

5年生が自分たちの通し練習のあとに、ずーっとそうしていたように、「端末を使って、meetで配信されている6年生の発表を見ながら感想を書く」と、先ほどまで4年生と5年生の間で起こっていたことが、今度は5年生と6年生の間で起こるのではないか、と。

そこで、急いでGoogleスプレッドシートを開き、「出席番号・氏名・感想」という行をつくりました。「出席番号」の列には、人数分の出席番号を振っておきます。準備完了。共有権限を「編集者」にして、5年生のclassroomに共有リンクを貼ります。

「氏名」「感想」は、その下の列に5年生のこどもたちが自分で書き込んでいくようにしました。

6年生の発表が終わります。すかさず、「総合のroomに感想書き込み用のURLが貼ってあります。感想を書いてください」と伝えます。タッチタイプの音が教室中にカタカタ…。

5年生が感想を書いている間に、今度は共有リンクを6年生のclassroomに貼ります。5年生の最後の1人が書き終わったことを確認して、今度は共有権限を「閲覧者」に変更しました。

6年生はまだ体育館から教室に戻ってきていません。私は急いで6年生の教室に行き、「道徳のroomに5年生からの感想があります。読んでください」と板書しました。

5年生のこどもたちは、「とても、すごかったです。 私も、6年生になったらパフォーマンスしたいです。大縄いきぴったりでかっこよかったです。全部最高でした。」「六年生の発表を見た感想はダンスや縄跳びなどたくさんのジャンルのものをしていたのでとても六年生の偉大さを感じました。」など、素敵なコメントがたくさん書かれています。

とてもとても嬉しかったんでしょうねえ。6年生。1人の女の子は教室を飛び出して、⒌年生教室までお礼を言いに来ました。それを聞いてさらに嬉しそうな5年生。「6年生すごかった」「来年は6年生みたいなのやりたい」と口々に。

さらに、5年生の子供たちを廊下に整列させて帰ろうとしたとき、6年生の担任の先生が、「5年生の皆さん、ありがとう。」とわざわざ言いに来て下さいました。5年生はそろって「素敵な発表有り難うございました」とお礼を返しました。

そして、玄関前で11人とさようならしながら、ここまで頑張ってきたことや、当日によかったことについて言葉をかけ、放課としました。

4年生の先生、6年生の先生と打ち合わせをしていたわけではありません。しかし、ちょっとだけですが、異学年の子供たちの間に「素敵な関わり合い」を生み出すことができました。こういうことができるのが行事のよいところですね。

勤務校の職員室では、担任であるか担任外であるかは関係なく、先生方は普段から子どもの話を共有しています。ですから、「どんなことをしたら、あの子達を喜ばせられるか、成長のきっかけとできるか、よい関係を紡げるように働きかけられるか」ということは、ずーっと意識していられます。

タイトルに書いたのは、こういうことです。

子どもの姿を通して、互いによりよく関わり合おうとする先生方がいる。職員室がそういう雰囲気だと、子どもにとってあったかくて安心して頑張れる空間ができる。そして、そのような姿を先生方で共有することでさらにプラスのフィードバックをし合える。

こういうことなんじゃないかなと考えています。

もちろん、年間を通じて山あり谷ありです。今日のようによい日もあれば、なかなかしんどい日もあります。4月や5月はまだ手探りですが、11月のこの時期には互いの理解も進んでいることでしょう。

これまで20数年の教職経験の中で、いろんな人と一緒に働き、いろんな状況を経験してきました。「元気に働けるなぁ」「なんか頑張れているな」「職員室は安心だな」と感じられるときというのは、こうした「よりよい関わり合い」を志向する雰囲気があったときだなぁと思います。

明日はお休み。明後日から、またがんばっていこ。



# by t-fuji5289 | 2021-11-02 15:11 | 日々の雑感

光村図書 国語小学3年「まいごのかぎ」でお喋り。

Twitterに音声SNSが実装された。「スペース」という。

スペースで知り合った人たちと「国語部」という活動を始めた。
進め方は以下の通りである。

① 教材文を選定する。
② 剪定した教材文を、スペースを開き、交互に音読する。
③ 音読した範囲について語り合う。

これだけである。
これだけなのに、毎回とても面白い。

表題の「まいごのかぎ」を語り合うにあたり、僕は以下のように自分の読みを整理した。

----------------------------------------------------------------------------------------------
明日、「まいごのかぎ」の話をすることになっているんだけど、あのお話は
「他人から否定されてきた少女が、他人の願いを叶える力を手にしたことで満たされる話」
なのかな、と思った。
魔法の鍵は、「願いを叶えるアイテム」だけど、自分の願いではなく他人の願いを叶えるのだという設定だものね。
そうすると、鍵が女の子のところに現れた理由もわかるような気がする。
この女の子自身が欠落を抱えている(=鍵穴が開いている)存在で、だから、他人を満たすことによって満たされた時に鍵は消える。
仕掛けとして面白いのは、この女の子がいつも「余計なことをして」叱られたり人に迷惑をかけたりしているという描かれ方。つまり、行為としての「余剰」により、精神的な「欠落」が生まれるという矛盾が何ともユーモラスに描かれている。
「やりすぎ」によって「足りない」状態になる。
あ、これ自分を読んだだけかも。
まぁ、いいや、続けよう。
主人公の女の子において、行為としての「余剰」と、精神的な「欠落」が組み合わされたところに、魔法の鍵が現れる。そして他人の(欠落である)鍵穴に差し込まれることによって、相手の願いが叶えられる。
でも、その叶えられた願いは、「桜のどんぐり」だったり「ベンチの跳躍」だったり、「魚の飛翔」だったりする。つまりこれ、「余剰」。
最後に(図工の時間に描いた余剰の存在としての)うさぎが現れ、こちらに手を振っていなくなるところで物語は終焉を迎えるわけだけど、この場面で女の子の「余剰」と「欠落」が止揚されたのではないだろうか。
「いつまでも」手を振るという行為はそのことを象徴しているように思える。
かようにして、僕は以下の結論を得た。
「まいごのかぎ」は「余剰と欠落が止揚される話」である。
はい。小三の教材に言いすぎました。深読みですね。余剰です。
なかなか止揚されないあたし。

---------------------------------------------------------------------------------------------

終わってみて。

ものすごく面白かった。

僕はこうして、人との繋がりの中で、自ら抱えた余剰を昇華したいと考えているのかもな。


# by t-fuji5289 | 2021-10-22 22:58

初任地の思い出

今、道徳の地域教材についての原稿を書いているのだけど、久しぶりに初任地のことを思い出したので書いておく。数年に一度は繰り返し書いているので、「前にも読んだわ」という方もいると思うけど、僕にとって書くこと、思い出すこと、記しておくことに意味があるのでこのまま書いていく。

■野球部のコーチになったこと
 僕は初任が中学校だった。サッカー部の監督がやりたくて、部活動のある中学校を選んだわけだけど(ピアノが弾けない、泳げないという消極的な理由から小学校を避けたという事情もある)、初任校には野球部しかなかった。男子は野球部、女子はバレー部、どっちも無理な子は卓球部に全員参加という、今では考えられない部活動に、職員全員が参加する決まりになっていた。
 そこで、小学生の時に父親に買ってもらった左利き用のピッチャーグローブを数年ぶりに取り出し、毎日16:00から暗くなってボールが見えなくなるまで部活動の隅っこにいた。監督は別にいたし、コーチも別にいたので僕はいてもいなくても良かったと思うけど、生徒たちも僕にスイングやピッチング、捕球の仕方を指導してくれていたので楽しかった。
 部活動は地域の保護者の関心事でもあって、親子2代、3代にわたってこの学校の野球部だったという家族もあるし、練習試合が終わるごとにキャプテンの家にお父さんたちが集まって、試合の内容を肴に日付が変わるまで呑んでいた。そういう地区だった。加えて、僕が採用された年は、中体連の全道大会が勤務地で開かれることが決まっていたので、開催地枠が一つ多く、かつ、その年は小規模校にもかかわらず中3でほとんどのポジションを占めることができるという「当たり年」であり、応援にも力が入らないわけがなかった。
 このキャプテンのお父さんというのが工藤英雄さんで、僕と保護者との関わりや、学校と地域の関係を今に至るまで考えさせる特別な存在になった。大工である英雄さんは、教師より先にグラウンドにいて素振りしていた。野球なんてほとんどやったことのない僕にも何かと声をかけてくれていた。当時、独身だった僕は食事も不規則になっていたけれど、何かと飲み会に僕を呼んでくれて、奥様の静子さんの手料理を食べさせてもらっていた。
 結論から言うと、開催地枠をめぐる町内の学校との頂上決戦は禍根を残す形で敗退が決まった。地区の保護者は納得がいかないと言う思いがとても強く、学校・地域を巻き込んだ「騒動」へと発展することになるが、ここではその話は割愛する。

■静子さんが家内の病室付きの看護師だったこと
 独身ではあったけれど、妻とは高校生の時から交際を続けていて、結婚することも決めて僕は初任地に赴いた。就職した年に結婚し、その翌年には子どもを授かったわけだけど、まちに一つだけの総合病院で、産婦人科で妻の病室付きの看護師が静子さんだった。妻は切迫早産で、点滴治療が必要であり、ずいぶん長いこと入院した。その年は日韓W杯が開催されていたわけだけど、僕は親子3人の生活が始まるはずのアパートで一人でテレビを見ながら子どもとサッカーボールを蹴る日のことを考えていた。
 決勝戦のドイツとブラジルの試合は、難攻不落のドイツゴールを守るオリバーカーンの「壁」を、大五郎カットのロナウドがこじ開け、2−0でブラジルの優勝。これが6月の末だった。
 それから1ヶ月。夏休みが始まったばかりの僕のところに病院から緊急の電話がかかって来た。
「奥様の容体が悪い。これから函館の病院に緊急搬送する。すぐに搬送先の病院に向かって欲しい」
オクサマノヨウダイガワルイ?
何言ってるんだろう。
もうすぐ僕は家族3人の生活がこのアパートで始まるし、息子にはサッカーを教えることになっているんだ。
キンキュウハンソウスル。
緊急搬送。
自分の家族にそのようなことが起こるとは想像したこともなかった僕は、どこをどのように走って病院に着いたのかほとんど記憶がない。途中で妻を乗せた救急車に追い越されたことだけはぼんやりと覚えている。
 胎盤剥離と出血の酷かった妻は、輸血しながら帝王切開で長男を出産した。7月25日。
 ダウン症児として生まれた長男は生まれてすぐに腸閉塞の手術をしたため、また、妻が麻酔から覚めるまで時間があったため、長男の顔を見られたのはそれから数日後だった。妻は我が子が負った過酷さに涙し、僕は自分の家族像が想像もしなかった絵に描き変えられたことに戸惑っていた。が、小児科の医師は「でも、育てていってもらわなきゃいけませんからね」と至極当然な事実を端的に表現した(その後、開業医になる先生には長いことお世話になった)。
 そんな僕たち夫婦に「こういう子は、この家族だったら幸せになれるって、選んで生まれて来るのよ」という言葉でエールを送ってくれた静子さんは、あの時確かに僕たちを救ってくれた。

■家族で工藤さんちに泊まりに行ったこと
 この翌年、統合新設校に移動した僕は、中1の副担任となった。担任は、例の全道大会への出場をかけた相手校の監督だった先生である。縁とは本当に奇なるものだ。新設校にはやはり「男子は野球部」の原則が継続していたので、僕は引き続き野球部のコーチになっていた。
 2年間、海に沈む夕日を見ながら帰宅する日々が続いた後、長男の療育のためにはやはり都市部の方がいいと考えた僕は、異動希望を出した。決まった先は小学校。中学校の国語教師として一生やって行きたかったが、これも運命の巡り合わせ。仕方ない。
 しかし、異動した先の小学校は、サッカーの強豪校。四年生の大会から六年生の大会まで、3年間持ち上がった子どもたちは、僕を3回、全道大会に連れて行ってくれた。五年生の時は9人生の大会で決勝戦まで行った。相手はコンサドーレU-11。結果は敗退だったけれど、後一歩で全国大会というところまでいった彼らとの日々に僕は熱中していた。

 初任地のことを忘れるほど。

 そんなある日、静子さんから「夏休みに家族で泊まりに来ないか」とのお誘いがあった。下の子も1歳になっていて、夜もちゃんと眠れるようになっていたし、何より懐かしい工藤さんからのお誘いだったので、「喜んで」とお返事したのだが、実はこの時、英雄さんは病魔に冒されていたのだった。胃がん。余命を考えて、会いたい人に会っておこうという事だったのだと思う。
 それまでに「人の死」というものを、祖父母のそれでしか経験していなかった僕は、あまり事態がよくわかっていなかった。ネットにはがんサバイバーの話も見かけていたし、「余命宣告から早10年!」などという明るい話も目にしていた(それもよく考えると怪しい健康食品の誘い文句だった気がするけれど)。だから僕はあまり深刻には受け止めていなかったのだろうと思う。
 海岸にBB Qセットを用意してくれていた工藤さん夫妻は僕たち4人家族を実に温かく迎えてくれた。数年前は僕たちが夫婦二人で、工藤さんは娘と息子との4人家族だったからちょうど逆になったんだね。そんな話や、今でも納得いっていない決勝戦の話をずーっとした。波の音が怖くて泣いている長男。なんだか機嫌のいい下の娘(高校生になった彼女は、今では不機嫌な顔の方が多いけど)。室内に場所を移してからも子育ての話や、学校が地域にあることの大切さなんかをずーっとしていた。寝たのはとっくに日付が変わった後だったと思う。
 それから数ヶ月して英雄さんは亡くなった。確か53歳。早すぎる。
 翌年の命日は、家族でお線香を上げに行った。静子さんは間も無くここを引き払って、長女の嫁いだ町に身を寄せるという。きっと孫の世話をしながら新しい生活を送っていくんだろう。元気かな。
 英雄さんが亡くなる数週間前、僕は夜の生徒指導巡回中に、別の先生に電話をかけようとして間違って英雄さんにかけてしまったことがあった。電話を切るまで間違いに気づかなかった僕は、後から発信履歴に残る英雄さんの名前を見て「あちゃー」と思ったんだけど、これも今考えると最後に神様が声を聞かせてくれたのかな、とも思える。

ながーくなってしまったけど、初任地を思い出すと工藤さん夫妻のことを考えずにはいられない。ダウン症の長男が自宅近くの入所施設に入ってもうすぐ一年になる。コロナ禍で全然面会ができないため、妻はとても寂しがっている。とてもとても寂しがっていて、毎日のように「ご飯食べたかな」「何してるかな」「親切にしてもらってるかな」「お部屋、暑くないかな」と言っている。僕は毎日「満腹だよ」「遊んでるよ」「みんな優しいよ」「扇風機回しているよ」と答えている。
 英雄さん、静子さん。僕たち夫婦二人、とてもお世話になりました。4人になった僕たち家族は、あと一年半もすればまた夫婦二人に戻りますが、仲良くやって行きたいと思います。いつかまた会えたら、どんな風だったかお話しに行きますね。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 23:29 | 日々の雑感

「再現不可能性」が増大する


1人1台端末を自由に使いこなしている諸兄は、おそらく次に担任する学級で今の状態を再現することは「とても難しい」と感じるのではないだろうか。
学級づくりを「担任色に染めること」であるとみなせば、いつ、どこの学年を持っても、どんな子がいる学級を持っても、その先生の色になり、○○学級と表現されるような凝集性の高い集団になっていくと思われる。
しかし、「個別最適化」を目指す時代である。子供たち一人一人の個別の成長ニーズに最適化した教育を展開しようとすると、学級が「子どもたち色」に染まることはあっても、「担任色」に染まることはあり得ない。
仮に、子供たちが伸び伸び育っていることが「色」と表現されるのであれば、その先生以外の学級が命令と抑圧をベースにしているからでは? とさえ考えてしまう。
今は、「そうでなければ仕事ができない」立場の先生のことは措いておく。あくまでも「他にも選択肢があるのに、あえて命令と抑圧で学級経営しようとする」タイプの怠惰な高能力者のことである。
その手の「従わせる」ことを持って職責だと考えている層には、「1人1台端末」の文具化は望むべくもない。
「どのようにでも使え。ただ、ゴールには着け。」
これだけでいいはずなのに、こと細かに禁止と努力目標とチェックで子供達を縛る。創造性の芽は摘まれ、大人に許可を求める抜け殻のような子供ができあがる。
しかし、子どもは逞しいから、浅はかな教師の設定する金網など抜けていく。支配者たちがいびきをかいている間に。
個別最適化、つまりは子どもが子どもの文脈で歩いていく道のりは決してまっすぐではない。寄り道・迷い道・曲がり道が常である。
ウロウロうろうろしているうちに、「秘密の通路」を発見するのが子どもたちだ。それが最短距離とは限らない。遠回りだけど、途中に公園があるかもしれない。きれいな花が咲いているかもしれない。可愛いわんちゃんに会えるかもしれない。
子どもが見つけた道は、子どもの道なのだ。子どもだけの道なのだ。
地図に記したら、その瞬間に子どもは誰も通らなくなってしまう、子供だけの裏道なのだ。
僕は子ども時代のことをよく覚えている。僕だけの裏道も覚えている。
裏道を持っている僕は、子どもたちと冒険ができる。だから、何が起こるかわからない端末の文具化が楽しい。
そして、きっと誰もが裏道を持っていた、はずだとも思う。
「学校スタンダード」なんていう、鼻くそみたいな舗装道路。
アスファルト(という石油精製の残りカス)を全部剥がして、雑草の生い茂るままにしておきたい。
子どもがどこに裏道横道曲がり道を見つけるか、なんて計画のしようがない。従って、再現性もない。何が引っ掛かるかなんてわからないのだから。
もう一度、野山を駆け回ろうか。ちょうど人口も減ってるし。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 23:19

「集団遊び」のロジックが変わっている

近年、私の中で大きく変わったこと(変えられたこと)があります。それは「担任が子どもと遊ぶ」ということの位置づけです。
過去の担任時には、子供達の多数は「集団遊び」に興じていました。例えばある年の学級は男女問わず、中休み・昼休み、そして放課後までグラウンドでサッカーする集団でした。その中に入っていって一緒に遊ぶことは単純に楽しかったですし、子どもとのコミュニケーション材料も手に入りました。それだけではなく、家庭学習でサッカー選手の名前を漢字で書くようになったある子は、50題テストでも100点をとるようになっていきました。
これは僕がそうしたのではなく、もともとそうだったのです。僕が担任になってからは、サッカーコートのラインを引いたり、戦術的な「指導」(笑)をしたりとこうした子供達の活動をサポートしたり煽ったりするということはあっても、そもそものムーブメントとして「みんなで遊ぶ」ことが、あの子達の育ちを促していたのだと思います。
そうした集団としての「質」がここ数年で変わってきているように思います。
詳しく書くわけには行きませんが、これまでは「まず遊ぶ。そして関係ができていく」というロジックでした。
しかし、これが反対になります。「まず授業や学校生活で満足させる。そしてそこで生まれた信頼関係を基盤に、みんなで遊ぶ」というアプローチが必要になってきているのではないかと思われます。
そうしなければみんなで遊べない、かもしれません。
勝ち負けに納得がいかない子がいるかもしれません。
邪魔する楽しみは相手の不快につながることをうまく想像できないこどもがいるかもしれません。
ルールが絶対で、「みそっかす」のような特例は存在自体が許せない子がいるかもしれません。
ちょっと極端に言えばこういうことになります。
「みんなで遊ぶこととはどういうことか」を、ある程度、戦略的に理解させ、育てなければ、「不快である」という感情だけが沈殿していくというリスクを抱えています。
ですから、「教師がルールや判定、活動時間をコントロールすることを認めてもらう」までの信頼関係が築けていないうちは、集団遊びに介入することを控えるようにしています。
こうした子どもの変化を前提にすると、「担任が子どもと遊ぶ」ことは、集団づくりの特効薬ではなく、むしろミッションなのではないかという視点が生まれます。
安易に遊びのネタを紹介することは、かえってそれを読んだ「若手」のリスク要因になり得るかもしれないというお話でした。
【注】
ここでは「集団遊び」の本や、「子どもとの関係づくりとして遊ぶこと」自体を否定したり批判することを意図していません。こどもたちの間には、実にびみょーな変化が生まれ始めていて、留意事項が増えてきているのではないかという趣旨です。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 23:16 | 日々の雑感