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潮風の香る教室


日々の記録から始めたブログも、2007年からもはや何年? 14年か! 現在はFBとTwitterがメインなのでブログに書かなくなったなぁ…。
by t-fuji5289
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行事はなぜ形骸化するのか

 6年生を送る会。この行事を担当していたのはもう4年も前になる。つまり、今の学校に来て最初の2年間だけだったのだが、ずいぶんと力を入れてやっていた。6年生を送る会の担当は教務ではなく、生徒指導部である。行事に関しては、入学式などの公的な行事、そして学芸会などの「大物」は教務部が担当する。運動会は保体部だ。生徒指導部は児童会の関連、児童総会や、この6年生を送る会を企画することになる。

 6年生を送る会は「セレモニー」としての意義よりは親睦的な意味合いが強い行事だ。もうすぐ卒業していく6年生と、お世話になった在校生との別れを惜しむつかの間の楽しい時間。そうであるから、「楽しく過ごせればOK」であり、そこで「仲良く遊べた」「下級生のお世話ができた」ということを持って「よし」としてもよい。本来の押さえとしては、卒業式は厳粛に、6送会は明るく、といったところだろう。

 だから、今年の6送会もそんなトーンで進んでいった。全体としては別に文句もない。時間の無い中で高学年が企画し、縦割り班で話し合い、うたの発表やゲームなどで盛り上がった。それはそれでよい。

 問題と思うのは、僕が企画したプログラムが、担当を離れて4年経っても何らの変化もないことだ。もちろん、児童が替わり、企画を進める担当者がかわっているのだから、細かく見ていけば全く別の会になっていると言えなくもない。しかし、もしもそうだっとしたら「形骸化」が進んだという意味合いで「全く別の会」になっているといえる。

 それは例えば「児童会引き継ぎセレモニー」だ。6年生を中心とする旧役員会から、現5年生を中心とした新役員会へと学校旗と校章をかたどった「児童会パネル」を手渡し、旧会長は、自分の仕事の総括と新役員への期待を語る。そして受け取った新会長は決意の言葉を語る。

 これだけのことだが、僕は大枠を考えた後で、子どもたちと相談し、BGMと照明、立ち位置と歩くスピードに徹底的にこだわった。BGMには旧役員会が登壇する場面では静かなクラシックを(バッハのオペラがはまっていた)、新役員のそれには勇壮なオペラをといった感じ。旗を手渡す瞬間にBGMの音量が最大になるようにタイミングを何度も練習した。児童会パネルは旧役員の書記の子が1週間近くかけて手作りし、新旧会長の挨拶は互いに呼応するように何度も手を入れた。つまり「セレモニー」としての形式美を徹底的に追究したわけだ。パネルを製作した書記の女の子の6年生の思い出を綴る作文には、このセレモニーのことが綴られていた。それくらい、当時の子の印象に残った瞬間だった。

 企画・開発には「旬」がある。一度やって盛り上がったからと言って、それをなぞれば毎回盛り上がるというような「鉄板」ネタなどない。いや、鉄板ネタを持っている人も中にはいる。そういったネタは「追試」されやすいのかもしれない。ただし、それは鉄板になるまでの磨き上げ之作業が伴っているうえに、アレンジも毎回加えているのであって、誰もが形だけを真似てできるものではない。追試材料として提供される情報はあくまでも「素材」に過ぎない。

 形だけが追試され、「形だけの追試」が追試され、「『形だけの追試』の追試」が追試され、4年経ったら音楽も無し、入場も無し、挨拶の呼応も無し、ないないづくしで形だけが残っていた。パネルと旗の手渡しだけがぽっこり妙に浮いている。

 行事で・どの子どもを・どのように育てるのか、という発想に立って全体を進めるためには、「なぜこの行事があるのか」を問い直す必要がある。どこの学校でやっている行事でも、「自分の学校にとっての意義とは何か」を見いだしていく作業が必要と思う。

 例えば4年前の児童会は6年生…少人数・親和的・個人作業が得意・表現力やや劣る/5年生…少人数・受動的・個別化進行、といった状態だったから、「まずはリーダーを育てよう」というのが、当時の6年担任・5年担任と僕の共通理解であって、3人で何度も話し合った上で企画の大枠を固めていった。といっても特に難しいことではなくて、職員室の他愛ないおしゃべりの中で十分にできた。教務で頭を取っている人や主幹教諭クラスの人なら当たり前にこのようなことを考えているのだろうけれども、放っておいても集団の中に自ずからリーダーが含まれるような都市部の学校ならそもそもこんなことは考える必要がないのかも知れないけれども、意識的に育てなければ「行動する主体」は立ち上がってこない僻地小規模校にはこんな視点が必要とされるのである。

 ちょっと話が大きくなったが、まとめると「Why」を失い、「How to」だけが走っていくと、行事は形骸化していく。そういうことだと思う。

by t-fuji5289 | 2009-03-06 20:14 | 日々の雑感
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