潮風の香る教室
2022-12-25T11:15:41+09:00
t-fuji5289
日々の記録から始めたブログも、2007年からもはや何年? 14年か! 現在はFBとTwitterがメインなのでブログに書かなくなったなぁ…。
Excite Blog
総合「湾だふる函館」が1年越しにゴールした
http://wingsesta.exblog.jp/32908088/
2022-12-25T11:15:00+09:00
2022-12-25T11:15:41+09:00
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t-fuji5289
日々の雑感
いろんなところで書いたり話したりしているので、既視感がある投稿になるかもしれません。昨年度、2021年の総合でやりたかったことが叶った今年でした。
2021年度、5年生の総合では「映え写真プロジェクト」と称した活動を行いました。コロナ禍で打撃を受けた観光都市・函館の魅力を写真で伝えようと、ゲストティーチャーの伊藤尚さんに「映え写真の撮り方」をレクチャーしていただきました。
そして校内において「写真コンテスト」を数回開催し、西部地区の自主研修で撮影した写真で外部のコンクールにも応募しました。佳作に3名も入賞するなど、手応えを感じた取り組みとなりました(入選した子の一人は嬉し泣きをしていました)。
しかし、心残りもありました。函館が観光都市として北洋漁業の衰退を機にまちづくりの基本方針を転換しつつも、その産業レガシーは海沿いにありました。函館どつくのゴライアスクレーン(現在は解体撤去済み)や金森赤煉瓦倉庫群、八幡坂や基坂などの風景は海とともにあります。
これらの風景を、海側から子どもたちに見せたいというのが私の希望でした。函館湾のクルージングです。そうすることによって、普段の生活の中では得られない視点からまちの風景を再発見することや、函館というまちの美しさを胸に刻んでほしいと考えたのです。
と、考えは壮大ですが、どうやって実現したら良いのかわからず、特に動き出しもせず、夢を描いただけでこの年度は過ぎていきました。
ところが、です。子どもたちが6年生になった今年、函館建青会(※)さんからのお声がけで、函館湾工事の現場見学会として実現することになったのです。
当日の様子はHPに掲載されています。
https://hakodate-kenseikai.com/archive/577
12月17日に函館で開催した教員研修の会では、三浦将大さんが故郷の原風景を価値づける模擬授業を提案してくださいました。あの授業提案のように、何年経っても記憶の片隅に残る風景になってほしいなと思います。
そして、これから出会う風景とつなぎ合わせ、彼らなりの景色が出来上がっていくことが楽しみでなりません。
僕が子どもの頃には「総合的な学習の時間」なんてものはありませんでしたが、その代わりしょっちゅう社会科見学に行っていた気がします。バスで登った函館山、ゴミの匂いに閉口した日の出清掃工場、緑の島がどのように造成されたのかというバス車内での説明がいまだに思い出せるのは、それだけ子どもの頃に見た風景というものは、文字通り心に刻まれるのでしょう。
この度の現場見学会が、クラスの子どもたちにとってそのようなものであるなら、こんなに嬉しいことはありません。
改めまして、函館建青会の皆様、有難うございました。
一年越しに夢が叶いました。
一生に残る風景を子どもたちに見せてあげられました。
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※「函館建青会」は地元道南の建設業界の若手経営者、経営者候補で構成される業界団体です。
会員の親睦を深めながら、行政機関や教育機関、他産業との連携などを行いながら建設業界の振興発展を図り道南地区の活性化に努めております。(函館建青会公式HPより)
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置き換え論の先に
http://wingsesta.exblog.jp/32738147/
2022-07-19T06:52:00+09:00
2022-07-19T06:52:12+09:00
2022-07-19T06:52:12+09:00
t-fuji5289
日々の雑感
1人1台端末の供用開始から1年半。教師主体から児童主体の授業づくりへと転換が求められている中で、子どもが文具としてPCを使うことのよさを感じることが増えている。
そして、PCの活用が教師の間で話題に上ることも多くなった。というより、「避けては通れない」話題としてそのことに言及しない研修会はほとんどなくなったようにさえ思われる。
未だ過渡期にある実践状況の中で、気になるトピックに出会ったのでここに備忘録として記しておきたい。
◆
道徳の授業改善に関わる会議に出た。
そこで話題となったのが、「子どもが自分の立場を表すのに、PCを使えば時間短縮になる」ということだった。そこに異論はない。確かに挙手して分布を確認し、人数を黒板に記すことよりも、事前のアンケート結果をプロジェクターで映し出すことよりも、授業が始まってからジャムボードやロイロノートを使う方が話が早い。
機能面だけ見れば、例えば自分の意見に近いところにネームプレートを貼ることと変わらないし、PCで「置き換え」た方が活動が効率化され、もっと他のことに時間を使うことができるようになる。この方法はどの学校でも割と広く取り入れられているようだ。
会議では、この話題交流についてグループごとにジャムボードの1シートずつが割り振られていた。そして別のシートでも同様の指導法が話題になっていたことからも示唆されている。
しかし、ここでちょっと立ち止まってみたい。子どもが自分の考えについて、類型化された意見への反応という形で表明するとき
A PCで行い、瞬時に結果が視覚化される
B 逡巡しながら黒板に自分のネームプレートを貼る
という二つは本当に同じものなのだろうか、と。
例えばBの活動を行うとき、なかなか自分のネームプレートを貼れない(貼らない?)子どもは何を考えて友達のネームプレートを貼られた黒板をみているのだろうか。
手に持った自分のネームプレートをビヨンビヨンと振りながら、どこを見て、どんなことを感じているのだろうか。
もしかしたら、あの子にとっては自己内対話の起きている、とても豊かな時間である可能性はないだろうか。
発問に対して手を挙げて発問することも、自分の考えをノートに書くことも簡単ではないあの子にとって、「自分の立場を表明する」ことはとてもハードルが高いことでありながら、それでもネームプレートを貼ることならできる(貼れない時には、こっそり貼らないでいることも許容している)。
そういう逡巡する時間の中に、あの子は葛藤し、「考え、議論」しているのかもしれない。単純なPCへの「置き換え論」に与することは、こうした学習活動ひとつ一つの解像度を下げることになるのではないかと感じた話題だった。
グループ協議の時にこのことに触れてみたら、参加されていた先生方の反応は、わりと頷きが多かったように思われた。皆さんも同じように感じられていたのだろうか。
◆
「置き換え論」の良し悪しではなく、そこで「本当には何が起きているか」ということを考えながら、自分の実践のあり方を考えてみたくなった、という話。
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「チコちゃんに叱られる!」に池田修先生がご出演されていたので視聴。
http://wingsesta.exblog.jp/32735849/
2022-07-16T11:11:00+09:00
2022-07-16T11:12:34+09:00
2022-07-16T11:11:17+09:00
t-fuji5289
日々の雑感
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藤原友和・駒井康弘編/函館・青森授業づくり研究会著『オリジナル地域教材でつくる「本気!」の道徳授業』(小学館)間もなく刊行!
http://wingsesta.exblog.jp/32626612/
2022-03-23T20:25:00+09:00
2022-03-23T20:30:17+09:00
2022-03-23T20:25:59+09:00
t-fuji5289
研究の軌跡
はじめに 第1章 なぜ地域教材の開発が必要か 第1節 人口減少社会と地域と道徳 1 地方は消滅し、学校が消える! 2 「新たな地域学習」が示した方向性 3 「三つの風船モデル」で考える地域教材の意義 第2節 今求められる規範意識と道徳 1 現状を観る 2 原点回帰 3 道徳は地方再興を旨とすべきである 第2章 「ひと・もの・こと」でつくる地域教材の開発プロセス 第1節 「ひと・もの・こと」から素材を見つける 1 「ひと」から見つける 2 「もの」から見つける 3 「こと」から見つける 第2節 三つの「活用類型」を参照に「考え、議論する」ポイントを設定する 1 「清涼剤型活用」のポイント 2 「葛藤型活用」のポイント 3 「自分事型活用」のポイント 第3節 学習指導過程に沿って発問構成を考える 第4節 授業を俯瞰して「見取り図」をもつ 第3章 地域教材を活用した道徳授業の実践例 1 地域の「ひと」を教材化した実践例 〈清涼剤型活用〉 ・「貴重な資料を守った図書館人・岡田健造」 ・「笹餅で人を幸せにする桑田ミサオさん」 〈葛藤型活用〉 ・「ラムサールの手前に」 ・「震災を乗り越えた八戸の三社大祭」 〈自分事型活用〉 ・「自分ならどうするか--アイヌの人と」 ・「幸せな生き方とは--宮沢賢治」 2 地域の「もの」を教材化した実践例 〈清涼剤型活用〉 ・「義に殉ずる~碧血碑を建てた柳川熊吉~」 ・「落ちこぼれ水族館から世界一の水族館へ」 〈葛藤型活用〉 ・「昆布さえあれば~投石事業に一生を捧げた坂田孫六」 ・「伝統を大切にするとは~白河だるま~」 〈自分事型活用〉 ・「縄文人からの贈り物~中空土偶を見つけ、守ったアエさんたち~」 ・「草木塔のある風景」 3 地域の「こと」を教材化した実践例 〈清涼剤型活用〉 ・「絵本『さくららら~私らしくあなたらしく~』」 ・「人のために働く~塩竃・明治の水道づくり~」 〈葛藤型活用〉 ・「『捨てる』~北黄金貝塚に暮らした人たちの精神性から~」 ・「五所川原立佞武多祭りとわたしたちのまち」 〈自分事型活用〉 ・「町会の今~どんな町会(地域)に住みたいですか~」 ・「ねぷたまつりを守るためにできること」 第4章 地域教材と他教科等との連携のあり方 第1節 地域教材と他教科等との連携の考え方 第2節 地域教材と他教科等との連携のあり方 1 「総合的な学習」との連携を図る 2 「シチズンシップ教育」としての地域素材の活用 おわりに
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学校の権威性と圧力の調整ということ
http://wingsesta.exblog.jp/32622636/
2022-03-19T08:04:00+09:00
2022-03-19T08:04:26+09:00
2022-03-19T08:04:26+09:00
t-fuji5289
日々の雑感
学習者中心の学習をどうつくるか、だとか、多様性をどう包摂していくかって話は、いつかどこかで学校の「存立基盤としての権威性」みたいなものにぶつかる。学校という空間は、ただそこに居るだけで圧を感じる場所だから、「圧力の調整」が学級担任の仕事のようなところがある。
「先生は偉いし、学校に行けば賢くしてもらえる」なんていう神話の残滓がまだそういう権威性のようなものを延命していたけれど、学習者中心で設計された今次の指導要領の改訂により、いよいよ権威主義的教育観に基づく授業や学級経営手法が寿命を迎えようとしている。
だからたとえば「スタンダード」なんてものが上から相当程度の「圧」を伴って下されてこようが、そんなものを無視して子どもたち一人一人をえこひいきしながら「圧の調整」をしているクラスの満足度が高いということも起こる。
逆に「座る、黙る、言った通りにする」ことを持って正しい授業態度だと見做すクラスが、子どもが成長する場としてはなかなかに厳しい状態になっていくという話も聞こえてくる。
しかしここで改めて確認してしておかなければならないのは、「学校の権威性」のようなものをゼロにして公的な教育機関としての機能を発揮することもまた出来ないのだろうということだ。
かくして、学級担任には教育活動のスタートラインにおいて「学校の権威性」を必要とし、子どもが「主体的・対話的で深い学び」へと至るプロセスにおいてその権威性が後景化していくような環境調整が求められる。
最初は西に向かって走り出し、どこかの時点で東に向かって進路を変えていくようなイメージである。
めちゃくちゃ曲がる台風みたいだね。
で、この台風が本土に沿って北上するように、子供の育ちにとってちょうど良い状態を維持できるかどうかが学級経営の勘所のようにも感じられている。そのプロセスでは、「一人ひとりに合ったえこひいき」が展開されることとなる。
「クラス全員が満足する一人一人の甘やかし方」なんで本があったら売れないだろうけど読みたい。著者は「若手が勘違いする」って燃やされるだろうけどひっそり擁護したい。
2 その先に形を変えた「権威性」を再創出すること
ところで、「学校は偉い」と思ってもらえるから、学校は偉くあれる。
もしも学校の権威性というものが実態としてあるのならば、それはみんながそう思ってくれていることによって成立している。そういうみんなの「お約束」なのである。
お約束の使い方を間違っちゃいけない。
お約束を反故にしてもいけない。
「みなさんのお母さんやお父さんが教えてくれたように、学校のお話はたいせつなんですよ」から始まって、「みなさんがこの学校をとてもたいせつな場所にしてくれました」という出口までのトンネルをくぐり抜け、やがて父母になった子どもたちがまた「お約束」を再生産する。
それはもしかしたら「相互依存的」な関係性なのかもしれない。地域に学校があるということ。学校が地域をつくるということ。学校が地域に支えられているということ。
僕の初任地は、まあまあの田舎の学校だったので、教職の原体験として刻みつけられている。
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古舘良純著『小学6年担任のマインドセット』(2022年,明治図書)
http://wingsesta.exblog.jp/32606544/
2022-02-28T17:00:00+09:00
2022-02-28T12:34:50+09:00
2022-02-28T11:05:46+09:00
t-fuji5289
本棚
結論から言って、古舘さんの最高傑作であり、私の2021-2022年度における教育書の読書履歴の中で、間違いなくナンバーワン候補となる本だ(一昨日まで読んでいた若松さんの本と双璧を為すと考えている)。 この本では6年連続、6年生を担任する古舘さんが6章に渡って自分の実践をリフレクティブに書いている。そしてその視座は、3月の別れの瞬間にどういった卒業生として送り出したいかという一点に貫かれている。本書における古舘さんの姿にはブレがない。迷いがない。その瞬間瞬間には迷いがあったこともあろうが、古舘さんは迷いのままに放置しない。必ず、解釈し、意味づけし、自分の振る舞いをブラッシュアップしている。生きる「ALACTモデル」だ。 ともすれば目の前の子どもの振る舞いに一喜一憂してしまう私達の職業。中には苛烈な状態の教室もあろうし、さんざん傷つけられてきた子供たちが貝のように口を閉ざす中で奮闘している先生も少なくはないだろう。私にもそんな年があった。 古舘さんは一つ一つの現象の「意味」をしつこく考えている。そして、何が必要だったのか、子どもの成長にとって意義があることは何なのかと言うことを、自分に対する評価を勘定に入れず(賢治風)淡々と記述していく。まず、ここのメンタルの強さが並大抵のものではない。 成長を続ける教師とは、古舘さんのような人を言うのだろう。 そして、ここが大事。よく「古舘だからできる」「みんなが超人にはなれない」と言われる。半分以上はひがみとやっかみだ。あぁ、情けない。古舘さんのようにはならなくてもいいけどそんな言い方をするなよ、といつも思っている。しかし、だ。古舘さんの実践リフレクションのようなアプローチを採用したら、誰もが「古舘さんのように」はならないとしても「あなたらしい最高の教師」にはなれる。これは断言できる。 もう一回言うよ。大事だから。 「誰もが、あなたらしい最高の教師になれる」方法を、古舘さんは採用している。 なぜそう言えるか。 「どうしたらいいかわからないときにどうしたらいいか」を自分で考えて決めるアプローチは、リフレクションによる、「これまでのやり方の否定」と、「もっといい方法と思われるやり方へのチャレンジ」だからだ。つまり、やり直しをおそれないこと。自己否定から逃げないこと。ときに辛いけどね。 スタートラインは、いつだって、何度だって引き直していい。自分が今立っている場所をスタートラインにしたらよいだけ。過去のあれこれをいったん断ち切り、いまここを新たなスタートラインにし続けること。おそらく古舘さんがやってきたのはそういうことだと思う。それが徹底しているのが「実践家・古舘良純」の真骨頂であり、彼が彼らしい教師である由縁なのだと思う。 さて、「教師のリーダーシップ」を全面に押し出していく叙述スタイルで書き上げたこの本と、冒頭に少し触れた若松さんの『教師のいらない……』シリーズの明らかな共通点を私は見つけてしまった。 中島さんのものまねして言うと「あー、結局そこなんですよねー(ふぅー、という長いため息)」である。 このことはまた機会を改めて形にしたいと思う。僕の中には既に具体的なイメージがある。4月が楽しみだなー。 古舘さん、素晴らしい本を世に出してくれてありがとう。 2022/02/28 雪解けも間近な函館にて
https://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-299512-5
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今回限定!「じわらDEじわる」セミナー
http://wingsesta.exblog.jp/32600091/
2022-02-20T19:09:00+09:00
2022-02-20T19:11:29+09:00
2022-02-20T19:09:40+09:00
t-fuji5289
未分類
金曜日に思い立って企画し、こくちーずで募集をかけましたが、まさか3日後の月曜日20:00~21:00という時間帯で来る人もいないだろう、10人くらいで藤原の実践をダシにして好きなこと言い合おうと思っていたのですが、予想外の反響でして、現在は40名強のお申し込みをいただいております。
内容は、「オンラインセミナーの企画・運営が授業づくりにどう生きているのか」というものです。1時間の企画です。
前半は、私がオンラインの学習会の企画から実施、振り返りまでのサイクルと、総合的な学習の授業づくりの関連性について語ります。
後半は、戸来・郡司・渡辺諸氏からのコメントです。
まさやんもグラレコしてくれます。
マニアックだよねぇ。そして、主たる提案者たる私以外の方が豪華だよねぇ。
まぁ、でも「1人1台端末」の活用と密接に関わっているので、コメンテーターの3人にあーだこーだと言って貰えることは私にとってとてもありがたいことです。
つい、今しがた資料も完成しました。明日の夕方ごろに参加者の皆様に送信するつもりです。
よかったらご参加ください。
https://wingsesta.exblog.jp/preview_article/
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「1人1台端末」が教師の立ち位置を変える話
http://wingsesta.exblog.jp/32567159/
2022-02-05T12:24:00+09:00
2022-02-05T12:42:54+09:00
2022-02-05T12:24:20+09:00
t-fuji5289
未分類
あとひと月半ほど残っていますが、「1人1台端末」を使うことによって、教育活動が大きく変わった令和3年度でした。最も大きな変化は「同時多発プロジェクトが滞りなく進行する」ということかと。ちょっと補足すると、同時多発プロジェクトは、トラブルの同時多発も意味します。しかし、解決リソースも同時並列にフローしているのです。
ゆえに、「トラブルを通じて成長する」度合いが大きいのです。もう一度言います。「トラブルを通じて成長する」のです。逆に言えばトラブルに含まれる教育的資源を活用できなければ、ただの混乱状況を生み出します。教師にこのマインドセットがうまくいけば、子供たちはどんどん成長していく、ということを経験しました。
2 「トラブルを通じて成長する」ためのリソースがどこにあるか、子どもがそれを使えるか
具体的なふるまいの話をします。
私の学級でも大中小のトラブルは日常茶飯事です。
もちろん、必要な指導をします。
このとき、指導に際しては、「事情はわかった。それで、どうしよう?」と問い、自己決定を促し、足りない部分をサポートすることの優先順位が高くなったことを感じます。n=1に過ぎませんが、「1人1台端末」時代の教師の役割の変化を一言で表すならばこういうことかと。
しかし、ここで立ち止まりますと、「トラブルを通じて成長する」のは集団生活の中で行われる教育活動においては当たり前のことでした。
では、なぜ「トラブルを通じて成長する」ためのサポートの優先順位が相対的に高くなるのか、ということです。答えは既に申し上げました。「解決のためのリソースが同時並列に存在する」ということです。
ということは、「子供が解決方法を選択するときの選択肢が幅広い」ということです。いかに自己決定が大切だと強調されようとも、そもそも選びたい選択肢が貧しければ納得して決定できません。
例えば、「1人1台端末」が可能にする「同時進行複数プロジェクト」という学習空間では、常に人手不足の状態に陥ります。プロジェクトチームは常にだれかの参加を求めています。自分のリソースの振り向け先が多様にあるのです。
ですから、作業上のトラブルは技術的に解決し、人間関係上のトラブルはプロジェクトチームの移籍も手段として残しつつ現実的な折り合いをつけるという形になっていきます。「ひと・こと」に縛られない学習活動が、端末という「もの」を媒介することによって容易になりました。
『どうしてもこのチームのメンバーとうまくやれないというなら、チームを移ってもいいし、一人で映像素材を集めて回ってもいいんだけど、どうする?』
「いや、このメンバーでやろうかな。」
「そうだね、ちょっと撮影してくる。」
「〇〇さんのところに入れてもらう。」
『わかったよ、じゃ、そういう形で貢献してね。よろしく。』
3 「同時多発プロジェクト」で起きること
「同時多発プロジェクト」の中では、そこで起こるトラブルも含めて子どもが自分のリソースの振り向け先を自分で選択して資質・能力を高めていきます。このときの目標はもちろんプロジェクトの成功にあります。つまり社会参画。このことを「学習者エージェンシー」というのでしょう。
これに対し、子どもが自らプロセスにおける間隙を埋めざるを得ないようなゴール設定をして学校教育資源としての教育課程・ゲストティーチャーや校外学習フィールドワーク現場といった地域教育資源を活用しながら学習環境を創出していく教師の取り組みが「教師エージェンシー」ということになるのだと思います。
そして、先日の連続投稿で報告した「新1年生プロジェクト」や「全校集会プロジェクト」は、子どもと教師とが共通の目標に向かって、なんとか成功させようと互いに知恵をしぼって取り組んでいますので、これを「共同エージェンシー」と呼ぶのではないかと。
3学期に入って見えてきた子供たちの成長の様子に手ごたえを感じながら、次に何をしようか考える週末でありました。
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全校集会プロジェクトの顛末
http://wingsesta.exblog.jp/32565104/
2022-02-02T23:45:00+09:00
2022-02-02T23:45:33+09:00
2022-02-02T23:45:33+09:00
t-fuji5289
未分類
2022/02/01には、全校集会が予定されていました。しかし、蔓延防止法の適用期間により、1箇所に全校児童が集まることは避けなければならず、「やるとしてもオンライン」ということとなりました。
各教室をGoogle meetで繋ぎ、オンラインで全校集会を開催するということはこれまでも何度かやってきています。勤務校の職員室はとてもとても、こうしたことに前向きです。「いずれオンライン授業をする日のために」と積極的に研修も試験的な実施も繰り返し行ってきています。
ですから、開催自体には何の問題もなかったのですが、一つ困ったことがありました。それは何かというと、委員会活動も制限されていたため、「各委員会から発表することがない」ということでした。
児童会担当でもある私。もうすぐ卒業する三役の6年生のこの活躍の場をなくしてしまうことはしたくありませんでした。全体進行の仕事は、結構人気があったため、事前にいつの回に誰がやるのか決めていたのです。
2.5年生の発表を入れてもらった
「何とかさせてあげたいなぁ」と思った私は、「委員会からなければ、5年生の発表にさせてもらえませんか?」と職員室で提案。これが了承されて、5年生が発表することになりました。
5年生の発表を行うということが承認されましたので、内容をどうするかという検討に入りました。ちょうど算数では「帯グラフ・円グラフ」の単元で、問題解決のサイクルが終末に設定されていました。何らかのテーマに対するアンケートを取って、数理的に情報処理し、考察するという活動です。
クラスには6班ありますので、各班で学年を分担し、問いを設定してアンケートを取ることにしました。テーマは以下の通りです。
・1年生の好きな給食調べ
・2年生の好きなアニメ調べ
・3年生の好きなテレビ番組調べ
・4年生の好きな飲み物調べ
・5年生の好きな教科調べ
・6年生の好きなアーティスト調べ
アンケートは「Google form」で作成し、共有リンクを発行します。それを担任が総合のclassroomで集約します。そして全校児童が入っているclassroomで「アンケートへの協力のお願い」として投稿しました。先生方にはC4thで意図を説明し、協力を依頼しました。もちろん快諾です。
続々集まってくるアンケート結果。自動的に円グラフや棒グラフになっています。「YOASOBIが人気なんだね」「カレーライスとラーメンが好きかぁ。やっぱりなぁ」など、結果見ながら子どもたちは盛り上がっています。ただ、「結果はこうでした」という発表をするだけでは、「熟考」できません。
そこで、同じテーマの全国ランキングを検索し、「自校の結果」と「全国の調査結果」を比較することとしました。同じ傾向なら何が言えて、違うとしたら何が言えるのか。こういうところを考えさせたかったわけです。まだまだ一斉授業的ですけどね。
考察した結果は「スライド5枚にまとめて、プレゼンの様子を動画で撮影する」というゴールにしました。全校集会では、その動画を流そうというわけです。なぜなら、私は児童会担当として、司会の6年生と別室からリモート配信しています。自学級に居られませんから。
3.事件発生!
全校集会の前日にこの授業を行なっています。5・6時間目の2時間続きの授業です。ギリギリ何とか全部の班が動画で収録し、共有ドライブに保存するところまで漕ぎ着けました。
放課後に動画をチェックすると、どの班も非常に工夫されていて、考察もとても面白いものでした。私はもう安心して「OKですね!あとは明日、朝の会でmeetの配信をテストしたら完璧でしょう!」と会心の笑みを浮かべ、この日も定時退勤しました。しかし、翌朝、事件が発生します。大事件です。
なんと、撮影した動画を、meetの画面共有にして再生すると音声が聞こえないのです。原因は分かりません、何らかのうっかりミスに過ぎないかもしれません。しかし、ここで原因を突き止め、修正するという発想はありませんでした。なぜなら、すでに当日だったからです。
私はここで腹を括ります。
『皆さん、このままでは発表ができません。ライブでやるしかないと思うのですが、できますか?』
「できる!」
「ちょっと心配…。」
『やってみましょう。』ということで、各班が変わるがわる画面共有を交代し、発表をしてみました。
ところが、です。
これが全然ダメ。
子どもたちは悪くありません。何がダメかというと、画面共有の切り替え操作と、音声ミュート・再開の受け渡しに時間がかかり、発表ごとのタイムラグが発生してしまうのです。全校集会は普段なら清掃活動をしている時間に行いますので、タイムラグは致命的…。どうしよう。
4.手を打つ、しかし不安
色々考えた結果、各班ごとに保存していたスライドを、一つのファイルに集約し、発表用の端末を1台に限定することとしました。そして、発表担当者が入れ替わりでPC前に来てマイクに向かって発表するということにしました。突貫工事の開始です。
スライドを1つのファイルに集約する作業は、PCに堪能な子が、中休み中にやっておいてくれました。担任は教室の机配置等を指定し、「一方通行で次々発表する子が移動する」動線を確保しました。全体司会の子は台本を書き換え、発表の様子を録画する担当も決めました。
全校集会は、12:45開始です。それまでに給食も下膳を完了し、子どもたちだけで環境設定と画面共有と発表をする準備をしなければなりません。なぜなら、担任は児童会担当として別室でリモート配信をするからです。内心、子供達だけでできるのかな?本当にできるのかな?という思いは否めません。
いつも以上に給食を素早く準備し、黙々と食べ終え、給食当番が下膳に行っている間に残った子どもたちで教室配置を整え、画面をキャストし、配信準備を整えます。生放送前の緊張感が漂います。原稿の最終チェックをしている子、画面の調整をしている子。さながら学芸会の当日の雰囲気です。
5.成功、そしてフィードバックを得る
結論から言うと、5年生の発表(画面共有しながらプレゼン発表)は、一つのミスもなく終えることができました。別室の私は既に泣きそうです。全体の進行を終え、教室に戻り、『大成功でしたぁ!』と声をかけると拍手と歓声の嵐。きっと本当の放送局もこんな雰囲気になるんだろうなと思いました。
実は、発表スライドは、全校集会の前に「classroom」にアップしていました。そして、発表の中で司会の子から「スライドデータはアップしているのでご意見・ご感想を頂けたら嬉しいです」と伝えてあります。全校集会が終わったところから昼休みなのですが、誰も体育館に行きません。
なんと、せっかくの休み時間なのに、他学年の子供達がコメント欄に感想を書き込んでくれたのです。次々に集まってくるコメントを見ながら2度目の涙。6年生からも褒めてもらった子どもたちは、本当に満足そうな顔をしていました。
6.おまけまで
さらにこの日は、2学期の総合的な学習で取り組んだ「ふるさと写真コンクール」の審査結果が学校に届いた日でもありました。応募総数200に迫ろうかという作品群の中、しかも高校生までが応募する中で、我がクラスからは3名が佳作に入賞。帰りの会では入賞した子が泣いていました。
こんなドラマを味わえるのが、担任業務の醍醐味であります。しかし、それ以上に恐ろしいのは、「新1年生プロジェクト」と「全校集会プロジェクト」は、2週間の中で同時進行だったんですよ…。もう一度言います。この二つのプロジェクトは2週間の中で同時進行だったんです。
それが可能になるのが「カリキュラム・マネジメント」であり、育成した資質・能力を発揮するということであり、「個別最適な学びと協働的な学びのバランス」ということなのだと思われます。子供達、すごいな。「1人1台端末」すごいな。一年間、職員室が「チーム」で積み重ねたことってすごいな。
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新1年生プロジェクトの顛末
http://wingsesta.exblog.jp/32565019/
2022-02-02T22:01:00+09:00
2022-02-02T22:02:36+09:00
2022-02-02T22:01:41+09:00
t-fuji5289
未分類
4月に入学する児童の保護者向け入学説明会という行事では、保護者が連れてくる新1年生の「託児所的機能」も兼ねて、体験入学が行われます。内容は現1年生と共に図工の授業などを合同で行う体験授業です。
しかし、オミクロン株の感染急拡大により、蔓延防止法が適用され、「体験入学会は中止。保護者向けの説明会のみを開催する」と決定しました。これは公衆衛生上、仕方のないことです。
とはいえ、準備を進めていた1年生の気持ち、次期最高学年としてお手伝いをするはずだった5年生の落胆を考えると、「コロナだから仕方がない」と簡単にいうことはできませんでした。
2.逆転の発想でこれを好機ととらえる
そこで、「何か動画でも作って、DVDにしてプレゼントしたらどうか」という案が職員室の中では出され、「5年生で例えばそういうことはできませんか?」と打診をいただきました。返事は「はいかイエスか喜んで」です。
ちょうど社会科では「未来につながる情報」という単元で、ニュース番組を作るまでの流れや、関わる人の思いを調べていくという学習が予定されていましたので、「自分たちでニュース番組を作っちゃえば、より理解が深まるじゃん」と思いました。作ることによって学ぶ。コンストラクショニズムですね。
1年生でも発表の準備をしているということで、全体を「万年橋ニュース」の特集としてまとめるということにして、以下のように構成することとしました。
①スタジオ:オープニング/特集紹介
②現地リポート:1年生教室の様子/校舎案内
③エンディング:5年生・2年生からのメッセージ
また、A班とB班に分かれ、「キャスター」「リポーター」「スタジオカメラ」「取材カメラ」「ディレンクター」「美術スタッフ」などの役割分担もしました。
総合的な学習と社会科、学活の時数を配当し、4日間をかけ、全8時間扱いの単元としました。カメラマン4人が録画した動画素材はGoogleドライブの共有フォルダに保存しました。編集は動画編集が得意な子が家でやってきてくれました。それが昨日の話です。
3.成果へのフィードバックとシェア
今日は1時間目の国語の時間に全員で完成した「ニュース」を見ました。湧き上がる完成と、編集の子への賞賛の声。
そして動画は全校児童が登録しているGoogleクラスルームに編集してきた子が投稿。「コメントいただけたら嬉しいです」と書き添えています。
早速先生方からコメントが付きます。もちろん絶賛の声ばかり。1年生の先生も、子どもたちに見せた上で、子どもたちの声を代わりに書き込んでくれました。
編集してきた子は嬉しくて嬉しくて、書き込まれたコメントを何度も読み返し「ニヤニヤしちゃった」と伝えに来てくれました。嬉しそうだったなぁ。
担任はここからもう一仕事です。完成したニュース動画はmov形式でしたので、これをブラウザソフトでmp4に変換。そして2種類のファイル形式をそれぞれオンラインストレージにアップし、QRコードを発行。このQRコードを載せた保護者向けのお便りを作成しました。
加えて、ここまでの技術を職員室で共有するため、「ファイルをオンラインストレージに上げて、QRコードを発行する」手順についてマニュアルを作成し、職員が入っているGoogleクラスルームに投稿しておきました。
また、ニュース動画のQRコードは、今週末に発行される学級通信にも掲載し、おうちでスマホやiPadから見られるようにしておきました。もちろん個人情報の保護やセキュリティに関しても配慮しております。
4.効率化も進んでいる
で、これらの仕事をしつつ、定時退勤しているのは、ひとえに「端末の文具化」と「コミュニケーションの改善による人間関係の安定」、そして「安定した人間関係の中での各自の得意技の発揮」が実現したからだと考えています。
詳しい話はまた別の機会に。
✳︎お知らせ
東北大学の「情報リテラシーセミナー」で、上記の内容を含み、実践報告をする機会をいただきました。
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鈴木優太『「日常アレンジ」大全』(2022.1,明治図書)
http://wingsesta.exblog.jp/32561871/
2022-01-30T11:15:00+09:00
2022-01-30T11:15:45+09:00
2022-01-30T11:15:45+09:00
t-fuji5289
未分類
「おお、これはいいな」と特に思ったページの角を折りながら読んだ。
そのうち、僕にとってのベスト5は、「52 消画ボタン」「58 音声入力作文」「59 大ボラストーリー」「69 雪の結晶の観察」「84 自学で授業開き」だ。
69がいいねえ。
84はちょっと勇気がいるかな。
来年度も担任できるかなぁ。
優太くん、いつもありがとう!
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「1人1台端末」は授業の前提を変える〜その1〜
http://wingsesta.exblog.jp/32515919/
2021-12-08T22:25:00+09:00
2021-12-08T22:27:03+09:00
2021-12-08T22:25:56+09:00
t-fuji5289
未分類
授業の前に子供達から聞かれることが変わった。
以前は、「先生、今日の授業は何をするの?」だった。
現在は、「先生、今日の授業はどうやって進めるの?」になった。
以前の質問は、聞かれるのがイヤだったので、端末が使えるようになってからは毎日「classroom」に学習内容を投稿するようになった。だから、「書いてあるよ。読んだ?」という塩対応を繰り返す中で聞かれなくなった。
ところが、今は後者がひどい(笑)
何がひどいかというと、授業が始まる前に教卓の前に子供たちがわらわらと集まってきて「どうやって進めるの?」の大合唱になる。今日の社会もそうだった。
2 要求する子供たち
C 今日の授業はどうやって進めますか?
C パソコン使う?
C グループでやりますか?
C 先生が説明しますか?
C 前みたいにスライドにまとめますか?
C 早く終わったら図書室に行ってもいいやつですか?
C 班? グループ作る?
函館弁で言うと「わや」だ。わや。チャイムなってるでしょー。座りなさーい。いや、それだけ教えてくれたら座ります、の押し問答(笑)
T ちょっと待って、(進め方を決めるのは)今日のゴールだ!この時間に何をしたらいいのか(藤原先生が)わかったら、それだけ示す! 進め方は任せる! それでいいしょ? まず座って!
C はーい(笑)
3 ゴールの姿だけを示し、任せる
…で、教科書に示されている今日の課題は、「工業が盛んな地域は、どんな場所にあるのだろう」。4つの工業地帯と5つの工業地域の場所と名称、そして生産額のグラフを読み取るというものだった。
はぁ…。つまらない授業しかできなさそうだ…。
そこで、黒板にこれだけ書いた。
① 工業地帯・工業地域の名前を5つ言える。
② スライドに白地図をコピペして色を付けることと名前を書くことをする。
T その前に、聞いてくれる?
T ここ、京浜工業地帯。東京の「京」と、横浜の「浜」ね。
C おー。そうなんだ!
T ここ、京葉。東京の「京」と…。
C 千葉の「葉」!
・
・
・
以下略。
はい、では始めー!
この後、僕は黒板に全力で上手な日本地図を描いた。そして工業地域・工業地帯を黄色のチョークで塗り、番号をつける。「5つの地域・地帯」が言えるようになった子供が、黒板の前まで出てきてチャレンジする舞台である。
さらにネームプレートも貼っておき、合格者のネームプレートは王冠マークの下に移動する仕組みにする。進捗の見える化である。
子供たちは思い思いにグループを作り、廊下から長机を持ってきたり、床に座ったり、黒板の前で「練習」していたり、タッチペンを借りにきたりと、「わや」になる。この授業は誰かが見にきても何やってるかわからないだろう。
で、①と②の課題はどの順番でやっても良いので、次々いろんな子がチャレンジしにくるが、それほど待ち時間は長くならない。合格者には拍手が起こるし、なかなか覚えられない子には、練習につきあってあげてたり、覚えるコツを伝えたりしている。
T あ、この時間に覚えられなかったり、スライド終わらなくても心配しなくていいです。あきらめればいいだけですから。
別に煽るわけでも脅すわけでもなく、それならそれでよしとする。だって、単なる「目標」であって、「目的」ではないからね。「5つ」という数にも根拠はないし(想定はあるんですよ、もちろん)。
授業の最後に「太平洋ベルト」と「海沿いに多い理由」を説明して授業を終えた。
4 「1人1台端末」が変えたモノ
「1人1台端末」が授業のどのような前提を変えたのか。
つまるところ、「教師がプロセスをコントロールしたほうが効率が悪い」ということなのではないだろうか。
学習者主体の授業の進め方について、池田修先生から教えていただいたことの一つに、「ゴールを示したら、そこへのプロセスは任せる。あとはやってはいけないことだけを決める(※)」というものがある。
この考え方を補助線にする。そうすると、どのような進め方がいいのかは、ゴールの在り方によって決まってくる。そして、どのような進め方がその子にあっているかは、その子が決めたほうがいい。
つまり、子供の反応を見なければ、授業の進め方が決まらないのだ(僕程度の力量では、という注釈が着くけれども)。教師がたっぷりと教材研究をして、わかりやすい教具を作って、コミュニケーションをハンドリングしながら楽しく進めることで授業がうまくいくのは、「1人1台端末以前」の最優先事項だった。
これが(もしかしたら)、変わった(のかもしれない)。
「こういうことができればいいんだよ」と教科書が求めている姿を解説して、方法の選択肢を保障し、進捗を励ましたりアドバイスしたりして、パフォーマンスについてのフィードバックを即時行う。
だから子供たちは「プロセスの管理権をこちらに渡せ」と交渉してくるようになったのだろう。近頃の僕の教室で起きているのはきっとこういうことだ。
お知らせ
※で示した池田修先生と、「みんなの教育技術」にて連載をしています。よかったらそちらもどうぞ。
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自分を疑う、自分を変える〜子どもが教えてくれる〜
http://wingsesta.exblog.jp/32515748/
2021-12-08T19:41:00+09:00
2021-12-08T21:17:56+09:00
2021-12-08T19:41:49+09:00
t-fuji5289
日々の雑感
なぜなんだろう、と考えて働きかけてみる。
そのとき、「自分を疑う、自分を変える」という構えで事に臨む。
そういうことの大切さを改めて感じた3日間でした。
実は昨日、ちょっとクラスでうまくいかない場面がいくつかあったのです。
算数の時間にAさんは授業の進行と関係のない発言を繰り返し、授業に全く集中できませんでした。
また、どちらかというと運動に苦手意識を持つBさんはバスケットボールで、グループ活動の輪から徐々に離れていっていました。
この二人の子供たちに教えてもらったことを書いていきたいと思います。
2 一昨日はよかったのに、昨日は調子が悪かったのはなぜ?
Aさんは、一昨日はよかったのです。とてもやる気があって、一生懸命に問題を解こうとしていました。しかし、昨日は急に人が変わったように授業の進行とは関係ない発言を繰り返していました。
なぜなんだろう。
昨日、晩御飯を食べながらずーっと考えていた私に、ひらめきがやってきました。「あぁ、そうか。あれか! そうかそうか!」
このひらめき、まぁ仮説に過ぎませんが、「一昨日はやっていた」のに、「昨日はやらなかった」ことを、「今日、もう一度やってみる」ことにしました。
そうしたら、これがハマったんです。見事に。
それが何かというと、実に単純です。
「黒板にネームプレートを貼り、出てきた名前の子に対して発問する」
という、これだけのことです。シャッフルしながら「次は誰に当たるかな〜」と、ややコミカルに進めたその展開が、Aさんにとってはとてもよかったのです。なぜよいか。おそらく次のような事だと思います。
発言権が誰にあるか視覚化されるため、不規則発言をせずに済む。
当てられた誰かが発言すると、教師が「今のはあってると思うか」と全体に問い、フリートークをする時間になるのが楽しい。クイズ番組のようだ。
自分が当たるまではドキドキする。
一人一人にちょうどよい難易度になるように先生が聞き方を調整するので安心して参加できる
誰かに向けた発問でも、自分がわかると嬉しい。
シャッフルをわざとしないで意図的に誰かにあて、「先生は不正はしていません」ととぼけるのが面白い。
活動が小刻みになるので集中力が続く。
一方的な説明だと聞き漏らすが、双方向のやりとりなので自分の中の文脈を作りながら聞くことができる。
…きっとまだまだあると思うのですが、Aさんにとっては「シャッフルネームカード指名」が授業への参加のしやすさをあげたのだと思います。
「あぁ、ひらめきが来てよかったなぁ」と思いました。しかしですね、このひらめきは偶然やってきたものではありません。私が採用している「思考フレーム」がよい方向に働いたのだということかと。
すなわち、
課題を発見する(Aさんが不規則な発言を繰り返す)。
うまくいっていた時を思い出す(一昨日はとてもよかった)。
「差」は何か考える(シャッフルネームカード指名だ!)。
上手くいっていた時の要素を再現し、検証する(もう一回)。
という一連の流れです。ソリューション・フォーカス・アプローチ的ですね(応用行動分析的かどうかはわかりません)。
今日、Aさんは授業に参加できた。クラス全体の雰囲気もよかった(もちろん、見えていないことも多々あろうけれども)。ほっとしました。
Aさんのせいにせず、「自分が変われるところがあるのではないか」と考えることができた自分を褒めたいです。ぱちぱちぱちぱち…。
3 急にテンションが下がって参加できなかったのはなぜ?
次にBさんの事例です。昨日、体育のバスケットボールの最中、表情がくもっていたので、「どうしたの?大丈夫?」と言葉をかけました。
これが逆効果。
「先生にダメなところを見られている」と思ったのか、ますます活動の輪から離れています(この日、この後どんなやりとりがあったかは割愛します)。
そして今日、体育の時間の前に、すこーし「お話」をしました。
T あのね、誰か一人でもつまらなさそうにしてたら、先生は授業の進め方を変えるべきだと思ってるの。それで、教えて欲しいことがあるんだけど、いいかい?
C はい…。
T 昨日は、どの時点でダメになっちゃったの?
C 昨日は、ディフェンスがここから出てはダメっていう線があったと思うんですけど、それを出てて、「あれ、ルールどうなってるんだっけ? 私が間違っているのかな」と思っているうちに、よくわからなってしまったんです。
T (なんと!面倒とか、嫌いとかではなかったのか!)あー、確かに。口で説明したけど、実際に動いてやってみせるところは足りなかったかも! そしたら、今日は、活動の前にルールを確かめるね。そこだけ?
C はい!
T わかりました。教えてくれてありがとう。
この話を受けて、授業の進め方を変えました。バスケットボールで、まだ試合には至りません。5〜6人のチームで4チームに分かれ、それぞれハーフコートでプレイします。
得点ルールは自分たちで決める。(ボードに当たったら1点、リングに当たったら2点、シュートが決まったら3点というルールが前回のものでした)ディフエンスの順番も自分たちで決める。
教師は2分間を10回計る。その2分間を使ってもいいし、使わなくてもいい(例えば5点ごとに交代するなど)。
ルールが決まったグループから活動してよい。
ルールはいつ変えてもいい。誰が言い出して変えてもいい。
これが当たりました。4チームある中で、Bさんも楽しく参加できていることは表情やシュートの姿を見ればよくわかります。
また、「2分間計測」の5回目が終わったところで、全チームでそれぞれ「ミニ振り返り」をして、ルールがこのままでよいかどうか相談するタイミングを取りました。どのチームもそのまますぐに活動を再開しました(この時、相談がまとまったら再開していいよ、最初のチームが再開したところから2分計るよ、としています)。最初のルール設定がメンバーに合わせてちょうどよくできていたのでしょう。
2分間計測の7回目あたりで、「あぁ、また一つ、子供だけで活動できる枠組みができたなぁ」と思いました。そして、そのことは、私が必要とされなくなることを意味します。「楽しそうだな。寂しいな」って思ったことは秘密です。3学期に感じるあの寂しさを味わってしまいました。
予告していた10回目が終わったところで、「輪になって座ってください。チェックアウトします。今の感情にスポットを当て、一言ずつどうぞ。終わったら片付けをしましょう。」とマイクを通して伝えました。
このチェックアウトは、ずーっと笑い声が起きています。そう、満足した活動の後の、優しい笑い声です。もう、涙が出てきました。
片付けが終わって、体育館入り口に整列した時、Bさんにこう伝えました。
「なんか、今日はとても満足して体育が終われたみたいです。Bさんが先生に教えてくれたおかげです。ありがとう。」
Bさんは、今日の「振り返り」にこんなことを書いていました。
「図工は普通でしたけど、体育が手を痛くしたぐらいで楽しかったです。」
子供に教えてもらってよかったな、と思いました。自分の授業のまずさを子供のせいにする「イヤな先生」に、すんでのところでならずにすみました。
Bさん、改めてありがとう。
4 子供が教えてくれる
冒頭に、このように書きました。
「なぜなんだろう、と考えて働きかけてみる。
そのとき、「自分を疑う、自分を変える」という構えで事に臨む。
そういうことの大切さを改めて感じた3日間でした。」
子供が教えてくれる。ありがたいなぁって思います。
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互いによりよく関わり合おうとすることが良循環を生む
http://wingsesta.exblog.jp/32480541/
2021-11-02T15:11:00+09:00
2021-11-02T15:11:14+09:00
2021-11-02T15:11:14+09:00
t-fuji5289
日々の雑感
久々の大きな行事です。せっかくの機会ですから「担任間の連携で、行事をちょっと素敵に彩った」できごとを、徒然にふり返って見たいと思います。
◆ まず、総練習の後に小さなサプライズがありました。今年の学芸会はコロナ対策の関係で、一堂に会する学芸会ではなく、一つの学年を見るのは、その他の学年ひとつだけです。私達5年生の発表を見に来てくれたのは4年生でした。 4年生の子供たちは、5年生の発表を最後まで集中して見ていただけではなく、教室に戻ってから1人1人が感想を書いてくれました。4年生の担任の先生がこの感想を持ってきてくれて、「文字の間違いとか、言い回しとかいろいろ気になるところあると思うけど(笑)、汲んで挙げて」と言いながら渡してくれました。 僕はこの感想用紙を受け取って、すぐに子供たちに見せようか、それとも何かしかけようかと考えます。すぐに渡してあげるのも5年生の子供たちは喜ぶでしょう。しかし、当日のモチベーションアップのために、活用させてもらおうと考えました。 ◆ 果たして当日です。朝の会が終わった後に、子供たちに次のように説明・指示しました。 ・総練習の感想が4年生から届いていること。・ランダムに1人1枚ずつ配ること。・配られたら、その紙を、友だちと見せ合って、5年生全員が、4年生からのコメント全部を読めるようにすること。・自分の席に戻って返信を書くこと。そのとき、「コメントありがとう。」「おかげで頑張れるよ」「4年生も頑張ってね」という、お兄さん・お姉さんの視点で書くこと。 4年生からのメッセージを読み合う5年生の子供たちの嬉しそうなこと! 「紙を見ないで長いセリフを言えてすごかった」「ダンスが息ぴったりだった」「市電が学校の近くを走っていたなんて知らなかった」「僕たちもはやくいきたくなった」というコメントに、ニコニコしています。 1人の女の子は、振り返りで「とても緊張していたけれど、4年生のメッセージが支えになった」と書いていました。「1人1台端末」を活用して、学級内では互いにフィードバックし合っていましたが、他学級からのコメントはことさら嬉しかったようです。 そして、5年生が返信を書いた感想の紙を集め、4年生教室に届けました。私は、4年生のこどもたちに「皆さん、感想を書いてくれて有り難うございました。5年生はとてもうれしかったと言っていました」と伝えて教室に戻りました。 ◆ 5年生の本番が終わったあと、次に廊下に待機している4年生とすれ違った5年生の子供たちは「ありがとう。うれしかったよ」「4年生も頑張ってね」と、自然に言葉をかけていました。嬉しかったんでしょうね。本番も上手くいったという手応えと、開始直前に励ましてもらう形になった4年生への思いと。これも、4年生の担任の先生が、総練習後に5年生に感想を書く機会をつくってくださったからです。 ◆ 話はこれだけに終わりません。2時間目に5年生が発表、4時間目は6年生の出番です。このとき、5年生のダンスチームの3名が、私に直訴してきました。「6年生の発表がみたいです」と。 6年生の発表の中にもダンスチームがあり、彼女らをリスペクトする5年生は、どうしても見たいのだそうです。 ここで僕は一計を案じます。 5年生が自分たちの通し練習のあとに、ずーっとそうしていたように、「端末を使って、meetで配信されている6年生の発表を見ながら感想を書く」と、先ほどまで4年生と5年生の間で起こっていたことが、今度は5年生と6年生の間で起こるのではないか、と。 そこで、急いでGoogleスプレッドシートを開き、「出席番号・氏名・感想」という行をつくりました。「出席番号」の列には、人数分の出席番号を振っておきます。準備完了。共有権限を「編集者」にして、5年生のclassroomに共有リンクを貼ります。 「氏名」「感想」は、その下の列に5年生のこどもたちが自分で書き込んでいくようにしました。 6年生の発表が終わります。すかさず、「総合のroomに感想書き込み用のURLが貼ってあります。感想を書いてください」と伝えます。タッチタイプの音が教室中にカタカタ…。5年生が感想を書いている間に、今度は共有リンクを6年生のclassroomに貼ります。5年生の最後の1人が書き終わったことを確認して、今度は共有権限を「閲覧者」に変更しました。 6年生はまだ体育館から教室に戻ってきていません。私は急いで6年生の教室に行き、「道徳のroomに5年生からの感想があります。読んでください」と板書しました。 5年生のこどもたちは、「とても、すごかったです。 私も、6年生になったらパフォーマンスしたいです。大縄いきぴったりでかっこよかったです。全部最高でした。」「六年生の発表を見た感想はダンスや縄跳びなどたくさんのジャンルのものをしていたのでとても六年生の偉大さを感じました。」など、素敵なコメントがたくさん書かれています。 とてもとても嬉しかったんでしょうねえ。6年生。1人の女の子は教室を飛び出して、⒌年生教室までお礼を言いに来ました。それを聞いてさらに嬉しそうな5年生。「6年生すごかった」「来年は6年生みたいなのやりたい」と口々に。 さらに、5年生の子供たちを廊下に整列させて帰ろうとしたとき、6年生の担任の先生が、「5年生の皆さん、ありがとう。」とわざわざ言いに来て下さいました。5年生はそろって「素敵な発表有り難うございました」とお礼を返しました。 そして、玄関前で1人1人とさようならしながら、ここまで頑張ってきたことや、当日によかったことについて言葉をかけ、放課としました。 ◆ 4年生の先生、6年生の先生と打ち合わせをしていたわけではありません。しかし、ちょっとだけですが、異学年の子供たちの間に「素敵な関わり合い」を生み出すことができました。こういうことができるのが行事のよいところですね。 勤務校の職員室では、担任であるか担任外であるかは関係なく、先生方は普段から子どもの話を共有しています。ですから、「どんなことをしたら、あの子達を喜ばせられるか、成長のきっかけとできるか、よい関係を紡げるように働きかけられるか」ということは、ずーっと意識していられます。 タイトルに書いたのは、こういうことです。子どもの姿を通して、互いによりよく関わり合おうとする先生方がいる。職員室がそういう雰囲気だと、子どもにとってあったかくて安心して頑張れる空間ができる。そして、そのような姿を先生方で共有することでさらにプラスのフィードバックをし合える。こういうことなんじゃないかなと考えています。 もちろん、年間を通じて山あり谷ありです。今日のようによい日もあれば、なかなかしんどい日もあります。4月や5月はまだ手探りですが、11月のこの時期には互いの理解も進んでいることでしょう。 これまで20数年の教職経験の中で、いろんな人と一緒に働き、いろんな状況を経験してきました。「元気に働けるなぁ」「なんか頑張れているな」「職員室は安心だな」と感じられるときというのは、こうした「よりよい関わり合い」を志向する雰囲気があったときだなぁと思います。 明日はお休み。明後日から、またがんばっていこ。]]>
光村図書 国語小学3年「まいごのかぎ」でお喋り。
http://wingsesta.exblog.jp/32469893/
2021-10-22T22:58:00+09:00
2021-11-01T20:55:28+09:00
2021-10-22T22:58:53+09:00
t-fuji5289
未分類
スペースで知り合った人たちと「国語部」という活動を始めた。
進め方は以下の通りである。
① 教材文を選定する。
② 剪定した教材文を、スペースを開き、交互に音読する。
③ 音読した範囲について語り合う。
これだけである。
これだけなのに、毎回とても面白い。
表題の「まいごのかぎ」を語り合うにあたり、僕は以下のように自分の読みを整理した。
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明日、「まいごのかぎ」の話をすることになっているんだけど、あのお話は
「他人から否定されてきた少女が、他人の願いを叶える力を手にしたことで満たされる話」
なのかな、と思った。
魔法の鍵は、「願いを叶えるアイテム」だけど、自分の願いではなく他人の願いを叶えるのだという設定だものね。
そうすると、鍵が女の子のところに現れた理由もわかるような気がする。
この女の子自身が欠落を抱えている(=鍵穴が開いている)存在で、だから、他人を満たすことによって満たされた時に鍵は消える。
仕掛けとして面白いのは、この女の子がいつも「余計なことをして」叱られたり人に迷惑をかけたりしているという描かれ方。つまり、行為としての「余剰」により、精神的な「欠落」が生まれるという矛盾が何ともユーモラスに描かれている。
「やりすぎ」によって「足りない」状態になる。
あ、これ自分を読んだだけかも。
まぁ、いいや、続けよう。
主人公の女の子において、行為としての「余剰」と、精神的な「欠落」が組み合わされたところに、魔法の鍵が現れる。そして他人の(欠落である)鍵穴に差し込まれることによって、相手の願いが叶えられる。
でも、その叶えられた願いは、「桜のどんぐり」だったり「ベンチの跳躍」だったり、「魚の飛翔」だったりする。つまりこれ、「余剰」。
最後に(図工の時間に描いた余剰の存在としての)うさぎが現れ、こちらに手を振っていなくなるところで物語は終焉を迎えるわけだけど、この場面で女の子の「余剰」と「欠落」が止揚されたのではないだろうか。
「いつまでも」手を振るという行為はそのことを象徴しているように思える。
かようにして、僕は以下の結論を得た。
「まいごのかぎ」は「余剰と欠落が止揚される話」である。
はい。小三の教材に言いすぎました。深読みですね。余剰です。
なかなか止揚されないあたし。
---------------------------------------------------------------------------------------------
終わってみて。
ものすごく面白かった。
僕はこうして、人との繋がりの中で、自ら抱えた余剰を昇華したいと考えているのかもな。
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