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潮風の香る教室


日々の記録から始めたブログも、2007年からもはや何年? 14年か! 現在はFBとTwitterがメインなのでブログに書かなくなったなぁ…。
by t-fuji5289
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どうするのが正解なんだい?

ええー、Twitterには組織の論理と自分なりの働き方との板挟みになっているうらみつらみの声が日々溢れているわけでございます。
中でも「なんでぇ、そんなこと。その肩に乗っかってるのは飾り物かい? ちったぁ自分の頭で考えたらどうなんだいっ?」などと叱られた若いもんが、うーんうーんと無い知恵絞って考えてやってみているものを、「おぃおぃ、みんな組織で動いてんだ。お前さん、そりゃあちっと勇み足ってやつだな」なんて出鼻をくじかれたりする。
こいつぁ、たまったもんじゃありませんよ。
という落語風な語りが出て参りますな。いくつになっても難しいもんでございます。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 23:03

俳句づくりの授業をしたよ

俳句の単元。「できないできない」と困っていた子が、「もうできるようになった!」と喜んだ作り方です。

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① ウェビングマップで、夏休みから連想する言葉を書き出す。
② 教師と一緒に、使えそうな言葉を二つ選ぶ。
 →「ゆれる」と「ひまわり」でした。
③ ノートに、「(    )ひまわり揺れる(    )」と書きます。(  )に入れたい5音をそれぞれ書いてくるように促します。
④ 第1案ができます。
 →例:(夏の日に)ひまわり揺れる(きれいだな)
⑤ 前半と後半のどちらを大事にしたいか聞きます。
 A 夏の日にひまわり揺れる(   ) 
 B(   )ひまわり揺れるきれいだな
 →この子は「A」と答えました。
⑥ 第2案の元ができます。
 夏の日にひまわり揺れる(   )
 →(  )の中を考えます。
⑦ 第2案ができます。
 夏の日にひまわり揺れる祖父の家
⑧ 「夏」と「ひまわり」が重なっている(=ひまわりといえば夏とわかるので言わなくともよい)ので、「夏の日に」を別のものに変換します。全然文脈と関係のない言葉が望ましいです。
 (句切れをちょっとだけ意識します)
⑨ 完成作品ができます。
 宿題のひまわり揺れる祖父の家
【評】夏休みの自由研究作品として、祖父の家を訪れた思い出を絵にしたのでしょう。ひまわり畑があるのでしょうか。涼しい風に大輪の花が揺れていることを想像させる爽やかな句になりましたね。

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と、このようにまず5・7・5をベタでも意味不明でも作ってから、どこかを一つずつ入れ替えて作っていけば、段々とかっこよくなります。5・7・5の順番を変えるだけでも印象が代わります。ポイントは、前に作った作品を消さないこと。連作のように小変更を記録していく感じです。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 23:00

担任はええのう

「先生! 先生が一番サッカーやりたがってるじゃないですか!」と言われ、

「そ、そんなことないんだからねッ あんた達で勝手にやってればいいじゃない!」とツンデレ風に否定するも、

ASローマのユニフォーム着て出勤しているなど。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 22:57 | 日々の雑感

世界は言葉。言葉が世界。

本当に何気ない言葉の選び方一つで、人間関係が壊れたり考えの底の浅さが透けて見えたり相手に対する敬意のなさが滲み出たりしてしまうのよね。

世界は言葉。言葉が世界。
とても怖いことだけれども、それなしで生きていくわけにはいかないから傷つけ、傷つけられ歩いていくのです。痛みも伴いながら。



# by t-fuji5289 | 2021-09-19 22:50 | 日々の雑感

僕が服装を整えるワケ

服装にはあまり頓着しない若手の頃。ジャージで学校に行くのが普通でした。しかし、とある経験を境に僕の服装についての考えは大きく変わり、習慣を改めることとなります。華金ですので、ビールを飲みながらこのつまらない話をつらつらとしていこうと思います。

あの日は、同日に午後・夜に二つの学校で授業研究がありました。片方は研究会のもので、役職のついていた僕は補欠をお願いして5時間目の授業を見に行きました。もう片方は定時制の高校で、勤務時間終了後に行われた授業研に研究協力者として参加していました。

はじめに見た小学校の授業では、このような研究会での授業が初めてだという先生が、子供たちと一生懸命に授業を進めていました。ところが、子供も先生もとっても一生懸命だったのですが、なかなかねらいに向かっていきません。毎日のご苦労が想像される授業でした。しかし、よかった。一生懸命だから。

僕が違和感を覚えたのは、後ろの方で何やら雑談しながら授業を見ている先生方でした。ほぼ全員、ジーンズにパーカーやTシャツ姿。後ろの棚に寄りかかりながら授業を見ている姿になんとも表現できない感情を覚えました。ま、よその学校ですから何も言いませんし、言えません。

そんなモヤモヤしながら出かけた定時制高校の授業。中堅からベテランに差し掛かろうかという女性の先生が、グループワークを織り交ぜながら論説文の読み取りの授業を行っていました。生徒さんは年齢や来歴も様々な方が集まっていました。言葉は悪いかもしれませんが、「ふつー」の授業でした。

しかし、そんな「ふつー」の授業であるという見方が全くもって浅かったと痛感させられたのが、授業が終わった休み時間でした。ここで詳しく書くわけにはいきませんので、これ以上は辞めておきます。一つだけいうと、全くもって僕の人間理解の底の浅さを思い知らされた風景でした。

急いで補足します。人権が踏み躙られていたり、非社会的なことだったり、安全・安心が脅かされる種類のことではありません。その高校の名誉と生徒さんたちの名誉のために断っておきます。僕が見たのは、社会の厳しい現実でした。属人的なものではなく、社会構造的なものです。誤解なきよう。

それで、です。午後に見た先生方。夜に見た生徒さん方。この像が僕の中で結びついた時、一つの考えが浮かびました。公立学校の職員たる自分は、もしかしたら子どもたちにとって「対等の人間として接した最後の大人」になるかもしれない。服装を整え、言葉を選び、人格を尊重しようと。

なんでもかんでも極端になってしまう自分は、体育の時だけジャージに着替えるということを徹底し、それ以外はスーツで過ごすようになりました。強迫観念にも似た感情に支配され、帰宅後も風呂上がりにビールを買いに行く時でさえ、スーツを着ていました。明らかにやりすぎです。

でも、子どもの知り合いに会うかもしれない。親御さんに会うかもしれない。どこで会っても「僕の先生はきちんとしている」というのは子供にとって嬉しいかもしれない。「きちんとした服装で言葉遣いも優しい」と感じてもらえれば、大切にされていると思ってもらえるかもしれない、と。

当時はそのようなことを考えていました。「なんで先生はネクタイをいつもしているの?」と聞かれたら、「皆さんを尊重しているからですよ」と応えていました。本気でそう思っていたんです。あの頃は。

今ではそこまで極端ではありません。しかし、公立学校の職員である自分は、子どもたちや保護者に「選んでもらう」ことはできません。合うも合わないも関係なく、担任になります。そして僕に全ての子供を救うことはできません。よって、せめて服装は整えようと思う次第です。あくまでも、「僕は」ね。

ここまで僕は、僕自身の「服装を整えよう」と思ったきっかけについて長々と書いてきました。みんながそうあるべきとは思っていませんし、服装が整えばよい教育をしているというつもりも毛頭ありません。誰のことも批判していません。不快に思われた方がいたら申し訳なく思います。

せっかくの華金ですが、こんなつまらない話に最後までお付き合いいただいた方がいたら、感謝して乾杯したいと思います。


# by t-fuji5289 | 2021-09-19 22:45 | 日々の雑感